人事で岩手に移動しそこで歩んだ頃はまだ二十歳にもなっていなかった。何か悟ってこの道に来たのではない。ただただ言い知れぬ何かに突き動かされて、悪く言えば悪い熱に罹ってうなされるようにして歩み始めた。おそらく多くの食口はそうだろう。あの膨大でどこまでも深いみ言葉など数度の修練会や一年足らずで理解できようはずもない。神も霊界も、罪も救いもみ旨の歩みの中で探っていく路程だ。とは言え実践と実績は常に追求されるのであって、み言葉がわからなければわからないなりに、歩む為の動機付けを外界の何かから得なければならない。多くの食口の場合セールス本だったり実用書だったりする訳だが、飛び込みが嫌でたまらない私はとにかく自分を慰める飴を選んで嫌いな歩みを続けることを選んだ。私にとっての身近な手に入る飴は音楽だった。なけなしの小遣いを貯めて中島みゆきのテープを買ったことがある。中島みゆきの歌は詩といい旋律といい日本人の孤独な寂しい感情に共感しひと時の慰めを得ることができた。中島の歌は日本人特有の歌で、なかなか海外に受け入れられるとは思わない。おそらく、おそらくだが中島には日本神霊とこの世の日本人を繋ぐ巫女の役割がある。日本人の琴線に触れることができる霊的能力がある。結婚しているのかいないのか、結婚せずに何某かの神の霊に帯同しているからこそあの詩があり旋律があり、そして歌声があるのだろう。それは神の霊に身を委ねた巫女の在り様そのものだ。そういう使命を得て生きている者が日本にはたくさんいる。かつて古代ギリシャには神殿娼婦と言われる巫女たちがいた。古代には霊的血統の流れを巫女の実体的宗教儀式によって絶やすことはなかった。しかし現代でそれを行うことは当然なこととして完全な罪であり悪魔儀式だ。同じ行動でもそれぞれの時代霊による動機と使い方で善神に寄与するものか悪神なのかははっきり分かれるところだ。私達が祝福を通して神の血統圏に繋がれるのも、アボジが縁を結んだ女性を戴くという聖酒式の流れの中に霊的相続が生きているわけだが、そんな説明をあからさまに公にすればそれこそカルト呼ばわりされるだろう。