2026年9月12日土曜日

今日の想い 1492

 今回の障害を経験して、人がどのようにして鬱になり、精神障害を抱えるようになるのかよくわかった。精神科医がどう定義しているのかはわからないが、不安が不安を呼び、その不安が更なる不安を呼ぶという連鎖反応で心の鬱状態が定着し、この不安の連鎖を自らで断ち切る術をなくし、自分の中に自分として統一されていた主体がその役目を担うことができなくなって精神疾患となる。浮遊感という言葉があるが、これは体が宙に浮いている感覚のみならず、本来なら自らの中に土台がしっかりあって魂が内に居座っているものが、不安で土台が不安定になり魂が上へ上へと抜け出ていく、その感覚を浮遊感とみる。私は小学校の高学年の頃、その浮遊感で心が消え入りそうな、これは経験してみないと説明の仕様がないが、精神の嘔吐のような感覚に度々襲われた。献身していた当時でも、外からの実績の圧力が強すぎて内面の気を逸らされてはいたが、それでもたまにその浮遊感は襲ってきた。その大きな原因要素として、生まれ育った土地の霊的空気感がある。人間は本来、主体的能動的存在であるはずが、その土地特有の霊的な見えない枷が嵌められていて、人間の主体性を無くすか薄められてしまう。その状態では魂は削がれるばかりで居場所とは思えず抜け出ようとする。そこに住まう村人全てがそんな空気に感染していた。そうなると不安や困難が襲ってくると、命を絶って苦しみから逃避しようと簡単に試みてしまう。私の家系を見ても自らで自らを仕留める者は多くいるし、率から言っても隣村の比ではなかった。今回の病を負ったのにはそれなりの外的要因はあった。簡単に言えばストレスだが、父の介護と死という経験のない荒れ地を手探りで進めていくストレス、それに輪をかけるように妻との喧嘩で血が逆流する血気怒気で私の自律神経は完全にバズってしまった。しかしその外的要因をもたらす内的霊的要因に踏み込むに足る霊力はほぼほぼエンプティな状態で、ああこれはある程度の期間を超えなければ先は見通せないと覚悟し、狂うなら狂え殺すなら殺せと開き直り、やっとそこが底抜けに堕ちていた奈落の底になった。実は魂が抜け出ていくのではなく、魂を抱えていた位置から地獄へと魂を残したまま堕ちていく。

2026年9月10日木曜日

今日の想い 1491

母はあまり動けない状態なので、はばかりに立つ以外ほとんどの時間を低い椅子に浅く腰掛け、こたつテーブルに向って過ごす。私がスイッチを入れれば一緒にテレビも見るが、さして関心は示さず、私が席を外すと漢字パズルの本を開いて鉛筆で埋めている。四字熟語も難読漢字もお手の物で、私よりはるかに漢字の知識量は多い。亡き父は認知症ではないけれども昨日のことは忘れてしまっていたが、母は昨日のことも遠い昔のこともよく覚えている。それが母にとって喜ばしいことなのかどうかはわからない。厳しくも暗い、忘れ去られたような田舎で一生を過ごしてきて、口にする昔の話は当然厳しく暗い話ばかりだ。母が産まれて産みの母はそのまま息を引き取った。母に取って祖母が母であり、祖母が亡くなってのちは姉が母替わりだった。その私に取っての叔母は、私が教会に献身してからの母の嘆きを、自分の娘のように不憫に思って、アメリカにいる私に何としても帰ってくれないかと手紙をよこしたことがある。それはところどころ涙で滲んで字がぼやけている、便箋8枚にも及ぶ手紙だった。それはボロボロと涙なしでは読めない代物で、ああ叔母に取っては母は娘なんだと理解するには十分だったし、故郷に二度と帰ることはないと歩んでいた私を見事に揺さぶった。今こうして父を見送り、母の世話をしながら同じ屋根の下で生活しているのも、叔母の想いがあればこそだと思っている。叔母が亡くなる少し前に私に手紙をよこしたことは母に告げたが、その内容については触れなかった。母に取って叔母は母だったから、そこまで心配してくれていたことを告げると母が申し訳なくて深く悲しむと思ったからだ。透析しながら一人住まいしている妻の身の回りのこともあるので、時々母を一人にすることもあるが、遅くなって帰ると、私を一見してやっと安堵したかのように力を抜いて背を丸める。遅くとも8時半には床に就くが、先に寝るようにと連絡入れるまでは、いつまでも帰りを待って起きている。

2026年9月5日土曜日

今日の想い 1490

 今年に入ってまもなく、中学校の同窓会お誘いのハガキが届いたので、参加に〇を付けて返信ハガキを投函しておいた。日にちは8月の末だったので、まさか半年も経って体調が戻っていないことはないだろうと算段したからだ。しかし体調は良くなるどころかますます悪化していった。それに輪をかけて母の体調も悪くなり、介護のために母のところに同居する必要が出てきた。そんな状態で参加などできないだろうと思いながら、しかし欠席のメールは出さずじまいだった。そしてついにその日が来てしまった。重苦しい体調と気分を引きずりながら、会場に決められた田舎の中学校に近い場所へと、1時間半の往路のハンドルを握った。インターを降りて田舎道をくねくね運転している間、本当に数十名の同窓生が来るのだろうか、ひょっとしたら取り止めになって誰も来てないかもしれない、などと狐につままれた様な気になった。それならそのほうがいいかと思いながら会場に着くと、古希の集まりだとは思えないほど溌溂とした会話があちこちで盛り上がっていた。風貌は年相応にも関わらず活気は中学当時と変わらなかった。つらい表情は似つかわしくないと無理にでも皆に合わせ表情だけでも元気を装った。結果私にマイクが回ってきた折に空回りして、笑いを取るつもりが顰蹙を買ってしまったが、どうも私だけが一回り歳を取ってしまったようだ。5年前に一度、40年ぶりの同窓会に参加したが、その時の参加数は少なかったし紹介もなく、私を認識した同窓生は数人に過ぎなかった。しかし今回はマイクを回されたので無残な変わりようの自分を皆に曝け出す格好になってしまった。見渡すと中学当時と全くと言っていいほど変わりない人もいて、やはり歩んできた道のりが私だけ全く違っていた事実を認めざるをえなかった。確かに、苦労の路程というより苦渋の道のりだった。ある期間は自分を殺し、ある期間は欲を抑えきれず罪に苛まされ、ある期間は身に残らない数字だけを追い求めていった。光り輝くみんなのあの笑顔を私は持っていなかった。祝福を受けた私は暗い道のりを歩み、祝福をうけていない彼等の笑顔は本物に近いと、不覚にも思ってしまった。私は早々と宴の会場を後にした。退席に気付く数人に引き攣った笑顔で会釈しながら、、。

2026年9月2日水曜日

今日の想い 1489

 年寄は朝が早い。母と暮らすようになって四時間は前倒しで生活している。朝は4時には起きて朝飯の用意をする。母が4時半には起きてくるからだ。朝、床から起き上がる時が腰に一番堪えるらしい。起き上がろうとして20分くらいは四苦八苦するので、それで食卓に着くのは4時半だ。それまでに大急ぎで味噌汁をつくり、漬物と御飯を用意して食卓に並べる。飼っている鳥の餌やりは鍋に火にかけている間とか、わずかに空いた時間に済ましておく。最近は食事を済ませて5時を超えたころに散歩に出かける。外は闇にやっと光が混ぜ合わされる頃合だ。朝夕の散歩が体内時計をリセットさせて夜10時頃には眠気が来るらしい。自律神経が狂い、ここ数か月無理くり薬で寝付かせていたが、自然に合わせて寝起きすることで幾分眠気を覚えるようになってきた。導入剤を飲み続けると認知症になると、それでなくともいろんな症状で不安だらけなのに、輪をかけて不安を上乗せさせる。こんなので心療内科の医者が務まるのかと憤慨して、2回ほど通院して辞めたが、そのやぶ医者に勧められた散歩だけは欠かさないようにしている。今の季節は5時半から6時に闇と光が交代する。団地を一周すると1キロ半そこそこのコースになるが、下って登って最後に平地で息を整えて家に着く。コースを歩く間に、東の空にたなびく雲の朝焼けで先ずピンク色の光が広がり、そこに太陽が昇ってくると太陽の光で置き換えられる、その狭間の光景がみられる。夕焼けが霊界参入の景色なら、朝焼けは霊界から地上界に降りていく景色だろう。薬に頼るにしても寝落ちすることで霊的エネルギーを魂に得て、その活力で今日の試練や困難に立ち向かっていく。今日も生かされて、今日の喜怒哀楽をまとった責任分担をこなしていく。「主よ我に力を与え給え」であり「南無阿弥陀仏」でもある。

2026年8月27日木曜日

今日の想い 1488

そういえば店を一日また一日と回していく過程で、その都度様々な問題が発生していた。冷蔵庫が壊れた製氷機が壊れた下水が詰まった、等々は日常茶飯事のことで、監督不行き届きだと言われて業務時間外の従業員の喧嘩にもかかわらず裁判所に行ったこともあった。IRSの監査でその準備や対策のストレスで眠れないこともあった。分派に持っていかれた資産を返してもらいたいとメールを送ると、黒画面に白抜きで、提訴するので準備するようにとFAXが送られてきたこともあった。そういえばIRSから追徴金十数万ドルを吹っ掛けられたこともある。保健所の検査官に突然店を閉めるように指示されたこともあった。そんなこんなで問題は常にあるものとして店を回していた。精神的にも肉体的にもストレスが常にかかっている状態が普通だった。店を売る最後の足掻きは、当時幾分変わってはいるがそれなりに勤めあげてくれた従業員の異常行動だった。最後の方は彼によって店が振り回された。辞職したのは彼の要望だったし、何の恨みがあったのかさっぱりわからなかったが、見るからに異常者然とした恰好で店の前で踊ってみたり、客に声をかけて気持ち悪がられたりで、悪霊現象そのものをみるようだった。もちろんPOLICEには連絡して注意勧告と店の周囲何マイル以内に入らないようにレターを渡されたが、そんなものは何の役にも立たず相変わらず邪魔し続けた。店の責任を逃れることができて初めて深い呼吸ができた。人はどうかはわからない。しかし私は振り返ってみて、明日目が覚めなかったらどれほど楽だろうと思いながら生きてきた。信仰を強く持てばというけれども、この世間を渡るための信仰ではないだろう。大気圏という海で霊に飲み込まれず泳ぎ切るためにはある程度の問題や試練は付いて回るものだ。一つ一つをこなしながら霊の大波が来てもそれでも超えていける内的技術、いかに迫りくる霊を味方につけるかを学んでいる。

2026年8月25日火曜日

今日の想い 1487

人間は感情の動物だという。だから人間に対するときは感情で対する。しかし動物も植物も次元は異なろうとも感情はある。自我がなく言葉を持ち合わせていないので自分で表現する限度はあるが、感情の動物である人間が言葉にならない言葉を汲み取ろうと思えば、動物でも植物でもそれなりに分かり合える。しかし鉱物となると感情で対そうとする人間は相当数限られている。鉱物は感情を極限まで押し殺した存在だ。自我どころか個という概念までも否定し風と水と土と火の道理にどこまでも従っている。人間の喜怒哀楽の感情的側面を完全に取り去れば風水土火となる。人間は鉱物を用いて様々な創造を為してきた。アダムとエバに神様が息を吹き込まれたように、人間は創造したものに息を吹き込んでいる。私は今二年半前に両親のために用意したこじんまりとした家で母と暮らしている。20年前に建てられた決して新しい家屋とは言えないけれども、以前の家主が丁寧に使いメインテナンスも良くされていて、初見したときにこの物件に決めた。その時決めた内的要因があって、吹き込まれてきた霊的息吹の愛称が私に合っていると感じたからだ。両親が引っ越すまで掃除したり手直ししたり、内装の壁紙は業者に頼んだけれどもその他は大体自分でやった。この家に入るたびに口にはしないにしても「ただいま」と声をかけ、壁を優しく撫でながら愛でていった。この家は私を快く受け入れてくれる意思が伝わってきたし、事実私と両親(今は母のみだが)を守ってくれている。食口の万物に対する態度が唯物的なのは、原理の知的側面にのみ光を当てて感情の部分を蔑ろにしてきたからだ。霊界の実在を認めながら地上という結果世界にどのように霊が働いているかを見ようとしない。住んでいる家に対しても、着ている服に対しても、人々の手から手へと旅して辿り着いたお金に対しても、全ての万物に対して耳を傾け、背後にある感情を備えた霊的本質に触れなければ万物主管とはいわない。霊に触れれば彼らは声を発する。食事の前に長い祈りを捧げずとも、心を込めていただきますと声をかければ御飯は光り輝く。愛でながら行儀よくいただけば霊的に食することにもなる。

2026年8月18日火曜日

今日の想い 1486

 韓国のとある牧師が立ち上がった。やっと立ち上がった。彼の叫びが個人的感情や欲心からの言葉ではなく父母を想う心情に即したものであることは、生涯を通して歩んできた信仰路程、その上で相続した天の心情圏に立つ者であればその琴線に触れるはずだ。彼は正しいか正しくないかの論理に立っているのではなく、父母を想う心情に立っている。原理的観点から独生女信仰はおかしいと言っているのではなく、父母様への想いに触れればこそ改めるべきだという心情圏に立った言葉だ。御母様に対して進言できなかった自分であることを悔い改めている。信仰を通して心情を相続し、心情圏に立てば、未だ信仰にのみ殉ずる者からは位相が異なっている。心情を相続した者のみが真の愛の何たるかを求めることができるし触れることができ、そして真の愛に立つ。教権に立つ者が彼を無視しようが辞職させようが、天は真の愛の御方であるために当然彼の側に立っている。彼の、己が位置を捨て去ってもという犠牲と確固たる意志、見上げるそれに比して教権側がどういう犠牲と死生決断を供えているのか。私には見えない。祈祷のカタチと時間だけを食口に教育し、シュプレヒコール以外の行動に及ばない祈祷が真の祈祷といえるのかどうか、祈祷そのものが目的化してしまった教会の実情は天心苑の名を地に堕としている。