2026年9月13日日曜日

今日の想い 1495

 線状降水帯。この名称自体が実に強そうだ。海軍航空隊、とか神風特攻隊と並べても遜色ないほど強烈な印象を受ける。この線状降水帯なるものが日本列島のあちこちに飛来して、雨水爆弾を投下していった。日本が備えるべきは地震と津波だと誰もが認識していたが、まさか陸ではなく空からの襲撃に会ってしまうとはまさに寝耳に水だ。津波のように押し流されることはなくとも、線状降水帯なるものでこんな水攻めに襲われることを気象庁はわかっていたのかどうか。周辺国が襲ってくる前にこんな形で自然が襲ってくる日本とは一体どういう国家だろう。災害がここまで相次ぎ、休む場所すらままならない多くの国民がいるにも関わらず、相変わらずテレビは天下泰平の如く満面の笑顔のコマーシャルを流し続けている。日本はアメリカがどうこう言える立場には全くない。教会が洗脳される以前に日本の全ての国民が洗脳されている。これほどに平和ボケから覚めず、危機感の実に薄い国家が他にあるだろうか。机上の空論ではないが、机上の勉学漬けのみでそれで全てを学んだように満足しながら、国家として生き残る術を誰も教えないし、机から頭を上げて周囲の実情を学ぼうともしない。一体この日本のエセ平和の空気感を誰が蔓延させ、偏った一方的情報による操作の犯人は誰なのか。共産主義者だと食口は認識しているのだろうが、政権与党は本当にこの国の為の与党だろうか。教会は政権与党によって解散させられた、その事実をしっかりと食口は熟慮すべきだろう。わめいていたのは左派に与する者たちだが、しかし断罪したのは与党だ。私達が一生懸命応援していた議員たちだ。血が流れたって不思議ではない裏切りなのに、食口の誰が「罪を憎んで人は憎まず」のような聖人ぶった言葉を口にし、闘うことを良しとしないのか。ああ、また頭に血が上ってきた。こんな感情が沸き立ち制御できないものだから症状はますます悪化する一方だ。ニーチェの言葉であるルサンチマンは、悪魔の感情暴発だというのなら、神は恨みを抱えることはないのだろう。しかしアボジから教わった神は恨み骨髄にまで達する神だ。神が許す前に私達が許すべきではない。

今日の想い 1494

 アメリカは、アボジが予言した通りに国運を下げ続けている。トランプへの期待度が大きかっただけに、彼こそが摂理的人物かと私でさえも期待はしたが、やることなすこと、そして何よりもその言動は国運を失いこそすれ、MAGAの言葉通りとはならない。アボジが語られた通りに斜陽するアメリカであれば、逆の意味でトランプは摂理的人物だと言えるのかも知れない。関税にだけに留まれれば、何とか許されるかなとも思ったが、イランに手を出した辺りから世界を牽引すべきアメリカの大統領としては相応しくないという強い思いに変わってしまった。民主党政権バイデンほどの酷い大統領は出てこないだろうと思っていたが、トランプがこれほどの大言壮語で、MAGAがこれほどの独善主義となると、どちらがいいとも言えず唸るしかない。当選当時とは随分支持率は下がりはしたが、それでもトランプを信奉する者達はまだ多くいる。この中間選挙の結果がどうなるか、共和党が負ければトランプ政権はレームダックだ。副大統領か誰か立てざるを得ないだろう。トランプ政権の関税から始まる足掻きは、前政権の、先を全く考えないドルのバラマキも含めて、莫大な40兆ドルにも及ぶ負債を抱えていることが原因ではある。バイデンによるロシアの外貨準備口座(ドル口座だから当然アメリカにある)凍結によって負債国家通貨でありながらも基軸通貨であるドル通貨の信用失墜を世界に公言した格好だ。BRICS国家を始めとして世界の中央銀行はドル外貨より金銀の現物にシフトしている。GOLD-ETFは金そのものと同じ値動きをする仕組みではあるが、所詮ペーパー商品、すなわち扱う証券会社が倒産すれば紙屑になる。ETFは売買が簡単だし現物と違って保管料もいらないし、さらにレバレッジ(てこの原理:少ない投資で数倍十倍の売買が可能)もかけられて、それ故に価格のボラティリティが大きくなっている。しかし現物投資している中央銀行などは買いはしても売ることはない。中国は既に現物預かりのないGOLD-ETFは廃止の方向で動いている。ということは中国は十分すぎる金地金の保有があるということだ。通貨を制する者が世界を制する。どう控えめに見てもアメリカより中国に経済覇権はあり、トランプ政権は莫大な負債故に足掻いているようにしか見えないが、果たしてどうなるか。イラン戦争で露呈したように、もはや武力ですらドル体制を維持できない。日本もアメリカ従属一辺倒でいいのかどうか、この舵取りに国家の存亡がかかっている。

2026年9月12日土曜日

今日の想い 1493

父の納骨を済ませてきた。先週の予定だったが、大雨の情報が入って一週間延ばした。墓苑の事務所にも連絡しお寺さんにも延期を連絡しての今日だったが、やはり一雨来そうな空模様で、父は雨男かと思ったが事無く納骨式を終えることができ私も母も一息ついた。読経されるお寺さんの後ろで所々挟まれる南無阿弥陀仏の反復だけは合わせて声に出したが、それは読経されるお寺さんへの配慮でしかないという思いと、この念仏で父が成仏するなら届いてほしいという思いとがあり幾分複雑だった。風邪をこじらせたのか数日前から微熱と咳が止まず、納骨式の間は汗が滝のように上半身から流れ出た。汗と涙で霊を洗い流せば新たな出発ができる。そう思い直して、もがけどもがけど出口の光が見えないこの年の運気を、今日を転機に何とか上昇運へと変えていきたい。この世に生を受けた以上この世での使命がある。教会が解散すれば摂理が止まるわけでもないし、教会からくる指示だけが摂理的使命でもない。運気は使命感の認識如何によって掴むこともできるし手放しもする。使命感の欠如が今の状況を引き付けていると、そう読み取るのが原理的だろう。短い読経が終わるとお寺さんは丁重なお悔やみを母に延べ、母はそれに感謝の意を返し、前もって渡しておいた布施を袱紗から震える手で取りだし渡した。私はこの場で解散する失礼を述べてお開きとなった。もちろん近い一周忌にはご足労願うことは伝えておいた。教会には儀式がある。そしてこの世にはこの世の儀式がある。儀式を挙行することで何らかの内的霊的区切りと、新たな出発が為されることを人間であれば誰でも知っている。形にこだわり過ぎることも問題だが、形に敬意を表さないのはもっと問題だろう。神も仏もない、死んだら灰となり無になるだけだと言い張っていた父だったが、残された者がその縛りを解いてあげなければ、もはや体を持たない父は霊の自由の光を封印したままで無力だ。70年を超えて連れ添ってきた母の表情は納骨を終えて付き物が取れたように穏やかになって、それを見て私は、ある意味長男としては裏切って出ていったが、父の私への恨を解いて善しとした。父はこれで自由の光を得て前を向ける。

今日の想い 1492

 今回の障害を経験して、人がどのようにして鬱になり、精神障害を抱えるようになるのかよくわかった。精神科医がどう定義しているのかはわからないが、不安が不安を呼び、その不安が更なる不安を呼ぶという連鎖反応で心の鬱状態が定着し、この不安の連鎖を自らで断ち切る術をなくし、自分の中に自分として統一されていた主体がその役目を担うことができなくなって精神疾患となる。浮遊感という言葉があるが、これは体が宙に浮いている感覚のみならず、本来なら自らの中に土台がしっかりあって魂が内に居座っているものが、不安で土台が不安定になり魂が上へ上へと抜け出ていく、その感覚を浮遊感とみる。私は小学校の高学年の頃、その浮遊感で心が消え入りそうな、これは経験してみないと説明の仕様がないが、精神の嘔吐のような感覚に度々襲われた。献身していた当時でも、外からの実績の圧力が強すぎて内面の気を逸らされてはいたが、それでもたまにその浮遊感は襲ってきた。その大きな原因要素として、生まれ育った土地の霊的空気感がある。人間は本来、主体的能動的存在であるはずが、その土地特有の霊的な見えない枷が嵌められていて、人間の主体性を無くすか薄められてしまう。その状態では魂は削がれるばかりで居場所とは思えず抜け出ようとする。そこに住まう村人全てがそんな空気に感染していた。そうなると不安や困難が襲ってくると、命を絶って苦しみから逃避しようと簡単に試みてしまう。私の家系を見ても自らで自らを仕留める者は多くいるし、率から言っても隣村の比ではなかった。今回の病を負ったのにはそれなりの外的要因はあった。簡単に言えばストレスだが、父の介護と死という経験のない荒れ地を手探りで進めていくストレス、それに輪をかけるように妻との喧嘩で血が逆流する血気怒気で私の自律神経は完全にバズってしまった。しかしその外的要因をもたらす内的霊的要因に踏み込むに足る霊力はほぼほぼエンプティな状態で、ああこれはある程度の期間を超えなければ先は見通せないと覚悟し、狂うなら狂え殺すなら殺せと開き直り、やっとそこが底抜けに堕ちていた奈落の底になった。実は魂が抜け出ていくのではなく、魂を抱えていた位置から地獄へと魂を残したまま堕ちていく。

2026年9月10日木曜日

今日の想い 1491

母はあまり動けない状態なので、はばかりに立つ以外ほとんどの時間を低い椅子に浅く腰掛け、こたつテーブルに向って過ごす。私がスイッチを入れれば一緒にテレビも見るが、さして関心は示さず、私が席を外すと漢字パズルの本を開いて鉛筆で埋めている。四字熟語も難読漢字もお手の物で、私よりはるかに漢字の知識量は多い。亡き父は認知症ではないけれども昨日のことは忘れてしまっていたが、母は昨日のことも遠い昔のこともよく覚えている。それが母にとって喜ばしいことなのかどうかはわからない。厳しくも暗い、忘れ去られたような田舎で一生を過ごしてきて、口にする昔の話は当然厳しく暗い話ばかりだ。母が産まれて産みの母はそのまま息を引き取った。母に取って祖母が母であり、祖母が亡くなってのちは姉が母替わりだった。その私に取っての叔母は、私が教会に献身してからの母の嘆きを、自分の娘のように不憫に思って、アメリカにいる私に何としても帰ってくれないかと手紙をよこしたことがある。それはところどころ涙で滲んで字がぼやけている、便箋8枚にも及ぶ手紙だった。それはボロボロと涙なしでは読めない代物で、ああ叔母に取っては母は娘なんだと理解するには十分だったし、故郷に二度と帰ることはないと歩んでいた私を見事に揺さぶった。今こうして父を見送り、母の世話をしながら同じ屋根の下で生活しているのも、叔母の想いがあればこそだと思っている。叔母が亡くなる少し前に私に手紙をよこしたことは母に告げたが、その内容については触れなかった。母に取って叔母は母だったから、そこまで心配してくれていたことを告げると母が申し訳なくて深く悲しむと思ったからだ。透析しながら一人住まいしている妻の身の回りのこともあるので、時々母を一人にすることもあるが、遅くなって帰ると、私を一見してやっと安堵したかのように力を抜いて背を丸める。遅くとも8時半には床に就くが、先に寝るようにと連絡入れるまでは、いつまでも帰りを待って起きている。

2026年9月5日土曜日

今日の想い 1490

 今年に入ってまもなく、中学校の同窓会お誘いのハガキが届いたので、参加に〇を付けて返信ハガキを投函しておいた。日にちは8月の末だったので、まさか半年も経って体調が戻っていないことはないだろうと算段したからだ。しかし体調は良くなるどころかますます悪化していった。それに輪をかけて母の体調も悪くなり、介護のために母のところに同居する必要が出てきた。そんな状態で参加などできないだろうと思いながら、しかし欠席のメールは出さずじまいだった。そしてついにその日が来てしまった。重苦しい体調と気分を引きずりながら、会場に決められた田舎の中学校に近い場所へと、1時間半の往路のハンドルを握った。インターを降りて田舎道をくねくね運転している間、本当に数十名の同窓生が来るのだろうか、ひょっとしたら取り止めになって誰も来てないかもしれない、などと狐につままれた様な気になった。それならそのほうがいいかと思いながら会場に着くと、古希の集まりだとは思えないほど溌溂とした会話があちこちで盛り上がっていた。風貌は年相応にも関わらず活気は中学当時と変わらなかった。つらい表情は似つかわしくないと無理にでも皆に合わせ表情だけでも元気を装った。結果私にマイクが回ってきた折に空回りして、笑いを取るつもりが顰蹙を買ってしまったが、どうも私だけが一回り歳を取ってしまったようだ。5年前に一度、40年ぶりの同窓会に参加したが、その時の参加数は少なかったし紹介もなく、私を認識した同窓生は数人に過ぎなかった。しかし今回はマイクを回されたので無残な変わりようの自分を皆に曝け出す格好になってしまった。見渡すと中学当時と全くと言っていいほど変わりない人もいて、やはり歩んできた道のりが私だけ全く違っていた事実を認めざるをえなかった。確かに、苦労の路程というより苦渋の道のりだった。ある期間は自分を殺し、ある期間は欲を抑えきれず罪に苛まされ、ある期間は身に残らない数字だけを追い求めていった。光り輝くみんなのあの笑顔を私は持っていなかった。祝福を受けた私は暗い道のりを歩み、祝福をうけていない彼等の笑顔は本物に近いと、不覚にも思ってしまった。私は早々と宴の会場を後にした。退席に気付く数人に引き攣った笑顔で会釈しながら、、。

2026年9月2日水曜日

今日の想い 1489

 年寄は朝が早い。母と暮らすようになって四時間は前倒しで生活している。朝は4時には起きて朝飯の用意をする。母が4時半には起きてくるからだ。朝、床から起き上がる時が腰に一番堪えるらしい。起き上がろうとして20分くらいは四苦八苦するので、それで食卓に着くのは4時半だ。それまでに大急ぎで味噌汁をつくり、漬物と御飯を用意して食卓に並べる。飼っている鳥の餌やりは鍋に火にかけている間とか、わずかに空いた時間に済ましておく。最近は食事を済ませて5時を超えたころに散歩に出かける。外は闇にやっと光が混ぜ合わされる頃合だ。朝夕の散歩が体内時計をリセットさせて夜10時頃には眠気が来るらしい。自律神経が狂い、ここ数か月無理くり薬で寝付かせていたが、自然に合わせて寝起きすることで幾分眠気を覚えるようになってきた。導入剤を飲み続けると認知症になると、それでなくともいろんな症状で不安だらけなのに、輪をかけて不安を上乗せさせる。こんなので心療内科の医者が務まるのかと憤慨して、2回ほど通院して辞めたが、そのやぶ医者に勧められた散歩だけは欠かさないようにしている。今の季節は5時半から6時に闇と光が交代する。団地を一周すると1キロ半そこそこのコースになるが、下って登って最後に平地で息を整えて家に着く。コースを歩く間に、東の空にたなびく雲の朝焼けで先ずピンク色の光が広がり、そこに太陽が昇ってくると太陽の光で置き換えられる、その狭間の光景がみられる。夕焼けが霊界参入の景色なら、朝焼けは霊界から地上界に降りていく景色だろう。薬に頼るにしても寝落ちすることで霊的エネルギーを魂に得て、その活力で今日の試練や困難に立ち向かっていく。今日も生かされて、今日の喜怒哀楽をまとった責任分担をこなしていく。「主よ我に力を与え給え」であり「南無阿弥陀仏」でもある。