現実という今の結果をみれば、人類は罪のない正しい存在だとは決して言えない。同じように食口達の実態という今の結果をみて、祝福を受ければ罪のない存在になったとは決して言えない。三分立しているだとか、御母様に従うとか従わないとかそんな外的なことではなく、心の様相を見るべきだ。他体自覚を備え他の為に生きることを善しとする良心が活き活きと活動しているかどうかだ。神様の血統圏に組み入れられたなら人類の救いを願われる想いも相続しているはずが、組織存続と教条的な事柄に汲々とするばかりで、摂理への意志が感じられないのはどういうことだろうか。食口のうちの誰が人類の救いを真剣に考えているだろうか。アダムとエバは罪を犯した下腹部を無花果の葉で覆った。このコロナ時代、人類全てがマスクをつけている。マスクで口を覆うのは、人類が口で罪を犯しているからだろう。神様は言葉で天宙を創造されたように、神様の子女としての人類の使命は言葉による創造理想の完結だろう。下腹部で罪を犯した人類は、如何に生殖器を主管するかが文明の創造と発展につながってきた。科学文明の発展には霊的在り様としてのキリスト教の教えが不可分だった。そのように口で罪を犯している人類は、如何に口を主管し神霊溢れる言葉を創出するかに後天開闢時代の文明創造と発展はかかっている。食口が御言葉を重要視して信仰生活を続けてきたのはその通りかもしれないが、み言葉の本質に関わろうとせずにその鞘をなぞるだけなら、御言葉を受け取った意味は教条的なものに限られてしまう。み言葉に創造の力が備わっているのを実感しながら生きている食口がどれだけいるだろうか。先天時代は良くも悪しくもアダムエバの生殖器の乱用から出発した。後天時代ははからずも私達新時代先祖の口の乱用から始まった。政治やマスコミに代表されるように噛みつき貶めることだけに口を使っている。