堕落人間にとって、「知ること」は命の光であり、また蘇生のための力でもある。そして、無知は死の影であり、また破滅の要素ともなるのである。無知からはいかなる情緒をも生じ得ない。また、無知と無情緒からはいかなる意志も生ずることはできないのである。ー総序ー
総序のこの部分は色塗りされていない部分だが、私には色塗りされていない部分により多くの真理と知恵を見てとることができる。この部分から繋がる言葉は、人間において、知情意がその役割を果たすことができなくなれば、そこから人間らしい、人間の生活が開かれるはずはない、とある。人間にとって魂の活動である知情意が薄まれば、飲んで食べて寝る動物に近づいていくのであり、知情意の活動が強くなればより位相は本来の人間に近づいていく。知ることとしてみ言葉を学び蘇生の力を得てはいても、そこに留まらずに知ることから感じること、感じることから意志することへと繋がって人間としての位相に立てる。み言葉は確かに学んだかもしれないが、同じ御言葉を学んでも本来は人それぞれ人生経験や生活環境によって認識は変わってくる。それぞれ違うはずなのに知ることから感じることをすっぽかして十把一絡げで活動していく。認識から情緒、情緒から意志なのだが、自らの意志によるものではなくノルマ的に押し付けられた活動を私達はしてきた。その副作用がないかと言えば、私はある。それはトラウマにも近い副作用として抱えている。解散はされたけれども、組織的にアベルの号令のもとノルマに狂騒するという、そんな同調圧力的脅迫のない自由を得ることができたことに対しては二世以降を生かすことができる道筋が見えるようで希望的だし、スクラップされたけれどもこれからが本当のビルド、創造活動だと信じている。実際一世が次世代に残す愛の基盤、愛の繋がりが築けたとは思わない。個人的なことを言うと愛のない教会からは足が遠のくし、行くとしても条件的だ。一世を反面教師として花咲き果実を天に捧げる二世であって欲しい。