2021年6月8日火曜日

今日の想い 1101

 人間は興奮を求めて喜ぶ存在だ。反社社会で血を求めるのも、たとえ不倫だとしても情愛に溺れるのも、より興奮を求める人間存在の故だ。それは私がそう思う以前に、訓読会で御父様が話された言葉でもある。遊園地の乗り物が危険本能を起こさせることで興奮を覚え喜ぶように、反社も不倫も肉的危険と霊的危険により近付けることで、生きることの興奮を覚えている。彼等は後にはもといた安全圏に帰ってこられると自分を信じているが、しかし普通の人間は気付かぬうちにのめり込み後戻りできなくなってしまう。この興奮体験を求める人間の性質は、偽りの愛という愛の裏の面の獲得を目指している。求める愛の方向性が異なっている。ヤンキーが改心したら途端に表舞台で秀でた実績を上げるように、下半身がだらしない者が芸術や政治の分野で頭角を現すように、求める意志の強い者達が一方では地獄を、その一方では人間理想に突進している。出来たばかりの水産部に人事になったとき(回されたとき)部長も筋ものだったが、集められる兄弟も一癖も二癖もある者達が店舗から弾かれるかたちで集められた。しかし従順で素直な店舗の兄弟達を見るより、人間観察にはもってこいだった。自分も含めて様々な人間模様を見ることができた。怒りを抑えきれず包丁を振り回してチンピラ映画を地で見せた兄弟はどうしているだろうか。お互いの相対者を振り向きもせず駆け落ちして離れた兄妹ふたりは未だに一緒にいるだろうか。一方ではどうしたもんだろうとも思ったが、正直なところ彼等が羨ましかった。それだけのことをやってのける意志というエネルギーを内面に燃やしているのが羨ましかった。メラメラと燃える魂にこそ悪神であれ善神であれ働く。去勢された牛のように魂が冷えている者達に、摂理を担うほどのエネルギーは本当に残っているだろうか。