2017年4月5日水曜日

今日の想い 942

今年は桜が咲かない。毎年、ドカ雪で外に出ることもままならない日が一度か二度はあるはずが、今年は雪がちらつくことすら少なく、二月という冬真っ只中で70度近い日が数日続いたりして秋からそのまま春になったような感じだ。その気象異常のせいなのか、毎年満開になる見事なアパートの桜が、今年は半分咲いてそのまま枯れ落ちてしまった。今までそんなことは一度もなかった。タイダルベイスンも、ケントウッドも、近くのローカルの街路樹も、まわりの桜という桜は満開なのに住んでいるアパートの桜だけは咲かない。まわりの摂理は進んでいるのに私を中心とした摂理は中折れ状態だと突きつけられた気分だ。確かに私は足踏みしている。食口達もいろんな問題を抱えたまま足踏みしているのかと思っていたが、みんなもそうなんだから自分も当然だと宙ぶらりん状態にあぐらをかいていて、進んでいる摂理が見えなくなっていた。いや、見ようとしなかった。60を超えた身でありながらまわりを評論し中心を批判している暇はないはずなのに、為すべきことを為したいと思えないまま未だに意志を備えられない自分がいる。やがて訪れる裁きの時、それは死を迎え霊界の現実をみる時かもしれないし、悲観に埋没して責任を放棄し完全な無気力になる時かもしれないし、はたまた世界経済が破綻して持ち合わせているものが何の役にも立たない時かもしれない。そんな思いをめぐらす時点で実は相当病んでいる。私が本当に統一精神を相続したのなら、現実の厳しさを十分味わいながらもそれでも一歩を踏み出すはずだ。叩かれても叩かれてもそれでも立ち上がるはずだ。果たすべき責任がどれほど大きかろうとその重荷を背負って歩き続けるはずだ。そういう自分こそ私の良心は願っている。枯れ落ちた花を無残にも踏みしめながら、やがて生い茂る緑葉を纏う桜の大木を見上げている。足下の褪せた花々の想いに報いるためにも、私は責任完遂のために歩き続けなければならない。

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