2019年7月11日木曜日
み旨と海
御父様は原理の御父様であるけれども、海洋摂理を牽引してこられた海の御父様でもあられる。アメリカでの御父様はその多くの時間を海で過ごされた。マグロ釣り、ストライトバス釣り、オヒョウ釣り、そしてサーモン釣り、大西洋でもハドソン川でもアラスカコディアックでも、そしてラスベガスのミード湖でも、船を出して釣り糸を垂らしておられた。御父様が煮込んで作られた鯉こく、いや鯉の煮ツメだがそれをペットボトルに入れて渡されたことがある。ミード湖では大きな鯉が釣れるようで、その鯉を何の調味料もいれないまま(おそらく)、煮込んで煮込んで更に煮込むと身も内臓も全てが溶け込んだエキスができる。頂くのは有難く頂くわけだが、しかしそれを口にするとなると死を覚悟するほどだ。味を一言で言うならドブそのもので口にした途端吐き気が襲い、健康にいいはずが一気に病気モードになってしまう。しばらく食べ物が喉を通らないから確かにダイエットには効くかも知れない。食口におすそ分けしたが、何の感想も言ってこなかったのをみると同じ体験をしたはずだ。本当に御父様はそのドブ汁を飲用されておられたのか。そんなこともあったが頂いた魚の中で、私がもっとも美味しいと思ったのはオヒョウの刺身だった。釣ってしばらくするとアンモニア臭くなるが新鮮なものは本当に美味しかった。とにかく御父様は海に出かけられた。海で精誠を供えられた。だから海には以前の海とは異なる霊的生命が込められている。海は資源の宝の山だけれども、今まで活かされなかったのは資源が霊的に死んでいたからだ。しかし御父様の精誠によって霊的生命が吹き込まれたから、資源が生きた資源としてその価値を発揮する。海洋摂理は海の資源の価値を理解した者が牽引すべきだ。それは海に捧げられた御父様の精誠を理解できる者こそが資源の価値も理解する。御父様の願いに生きてきた私達が、もし海の資源を掘り起こせないなら、御父様と共に歩んだと言いながら一体何を学び相続してきたのだろう。アボジアボジと連呼するだけの烏合の衆なら御父様はその生涯をドブに捨てたようなものだ。これから益々世界は混迷し混沌状態になる。しかし危機的状況が激しくなればなるほど、どでかいチャンスも到来する。悪神が現れればその直ぐ背後に善神が現れる。御父様の子だと自負するなら天性の勝負師としての御父様の感性さえも相続しているはずだ。食口の中に生え抜きの勝負師が育っているはずだ。勝負師は頭で考えて選択はしない。生殖器周り、すなわち丹田の判断に任せる。善神と悪神を捉えて左右の霊的腕と手で両方を仲介し、見事な商談を成立させて莫大な価値体系をものにする。
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