2021年2月14日日曜日

今日の想い 1094(二世問題)

 神様を直接五感で感じ取ることはできない。しかし信仰対象とする以上神様のイメージを暫定的にでも捉えないと、曖昧なままでは進もうにも進めない。勿論食口は神様を信じているだろうが、そのイメージはまちまちで(イメージは映像だけに拘らない)、その辺から解釈の違いや方向性の違いも生じてくる。先天時代は無知ゆえに中心から与えられたイメージで一括りにできたわけだが、ある程度の成長を心霊に見るようになると、食口達も画一的個性として一括りにすることには無理が生じてくる。信仰二世問題がEテレ番組に取り上げられていたが、二世三世達にとって一世による宗教教育は押し付け以外の何物でもないだろう。親としては信じて疑わないものだから、子供にとって良かれと思うどころか、放っておけば親子共々地獄を見ると思い込んでいて結果、押し付けてでも従わせてしまう。それに対する子供の対処は大きく二つの方向性を辿る。親に沿うために個人的願望や理想を抱くことをあきらめ内にこもり意志欠如の人間になるか、自分の意志を立てとことん親に反発して距離を置く人間になるかその両極に分かれてしまう。前者は最初は親として従うふうの子供に安堵するが後に独り立ちできない魂に苦労する。人生の刈入れ時になってやっと、信仰の在り方自体に問題があるのか、子供に対する接し方に問題があるのか、とにかく何かが間違っていると認識できるようになるが、それでは遅すぎる。アメリカがこの手の問題に差ほどならないのは、個人の意志確立の素地が元々あるからだが、日本はその点、周りに合わせることが個人の意志より重要視され、不幸にして二世の問題を深刻化している。日本食口は母の国の民として摂理に貢献してきたわけだが、そこには個人意志を否定して全体意志を優先する流れが功を為しているが、後天時代、父子協助時代に果たしてその内的スタンスはどうなのだろうか。

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