2017年1月30日月曜日
今日の想い 940 (御母様の勝利圏)
御母様の勝利圏は、娘として勝利され、妹として勝利され、妻として勝利され、そして母として勝利されたその基台による勝利圏だ。娘としての父は御父様であられるし、妹としての兄も御父様であられるし、妻としての夫も御父様であられ、さらに母としての子も御父様であられる。その言葉が地上的に(一般的に言うなら具体的に)何を意味しているかは敢えて問わない。地上的に問えば御父様に対しては妻の位置に限定されてしまい、他の位置に対しては余計な勘ぐりを入れてしまうからだ。御母様の理解を超える様々な発言も、真の父母一体圏という言葉から連想される地上の父母のイメージに囚われているから理解できないのであって、真の父母一体圏は御母様の娘としての、妹としての、妻としての、母としての勝利を基台にした一体圏であり、敢えて言うなら御母様は御父様を実体み言葉存在として産みなおされた、ということだ。エバはアダムの肋骨から作られた、即ちアダムの中心部分を取り出してアダムの娘として創造され、アダムの妹として生活し、アダムの妻となり、アダムの母としてアダムを生みなおす立場にあった。しかしアダムの妻として勝利できずに堕落してしまい、母としてアダムを勝利的アダムに産みなおせなかった。アダムとエバが真の父母として勝利できなかったということはそういうことだ。アダムとエバが戒めを守り、教条的に生活すればそれだけで真の父母になれただろうか。御母様の勝利は楚々として御父様に付き従うことだけによって得られた勝利だろうか。妻として勝利された位置から母として勝利される過程は、御父様の御母様の否定から始まり神様が肯定せざるを得ない布陣(基台)を立てられた上で、御父様は母として御母様に屈服されて勝利された。真の父母の勝利圏とは世間一般に認識されている父母の通念とはその霊的成り立ちからして異なっている、と思った方がいい。そうでなければ御母様の発言は由々しき事として誰もが反御母様(分派となって血統圏に繋がらない)となってしまう。御母様の強気に取られる発言、御父様を否定されるかのような発言は、感情故に発せられた言葉ではなく、御父様を実体み言葉として産み直された真の母としての本質的発言だ。しかし食口のうちのどれだけが本質的発言として捉えることができるだろうか。それは私を含めて信仰段階に留まっており侍義の段階には届いていないからであり、御母様の本質が変遷していること、すなわち肉体は同じでも肉体に住まわれる位相が異なっていることがわからない限り侍義の段階には届かない。子の肉体が父親ではなく母親の肉体から来ているように、私の霊的生命、霊的習性、霊的生活が産み出された御母様によって成り立っているという自我自覚が信仰を超えたところにある侍義の段階だ。御母様が真の母としての自我の自覚をされたように、私は御母様の胎からでた存在だという新たな自我を自覚する。私の本当の環境創造はそこからだ。
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