2019年11月12日火曜日

今日の想い 1046

店がまだ食口の従業員で占められていた時は、本部を頂点とするピラミッド体制はそれなりに稼働していた。マネージャーは本部の指示だからという一言を従業員に伝えれば、食口である以上はその通りに動こうとする。しかし従業員が一般の人々に占められるとなるともはや葵の御紋は功を為さない。マネージャーは相反する上と下のサンドイッチとなり神経を擦り減らす。上に従えば店は崩壊するし店を維持するために下の要望に応えようとすれば本部から距離を置く羽目になる。事実それなりに距離を置いて経営しているのだが、自分は本部の願い、すなわち御父母様の願いに応えていると我知らず自分も他人も誤魔化している。時代は既に一マネージャーとしてだけ居続けることを願っていない。もはや指示待ちのマネージャーではなく、店のみならず摂理として責任を負い自らの意志を差し出すオーナーとならなければ進むものも進まない。オーナー意識でこそ御父様がいわれる主人精神であり、どうするのかは誰かが指示を与えてくれるのではなく自分の問題であり自分が答えをだすべきだ。皆で決めて皆で頑張ろう、なんていうのは欺瞞であり本当のところは自分以外の誰かがやってくれるという責任逃れであり、決めるにしても責任の重さを受け取りはしないし、失敗しても痛みを覚える訳でもない。相変わらずお花畑でみ旨ごっこをしている御目出度い群でしかない。その自分の姿を俯瞰でみれないことが悲劇であり、幼稚な私達に対する御父母様の落胆であり、次世代が一世についてこない最大の理由だ。

2019年11月2日土曜日

本祭り

沸かし直したお茶を啜り、見るでもない番組に母と目を遣りながら、時間の経つのを暫く待っていたが、11時を回ったのを確認しながら腰を上げた。結構なテレビの音量にもかかわらず座椅子から炬燵の中程まで腰を滑らし、だらしなく口を開けて寝ている父を揺すって促すと、隣の部屋で仮眠している妻にも声をかけた。本祭りに田舎に帰ったのは何年ぶりだろう。放っておけばそのまま朝まで寝てしまうだろう二人に声をかけて、予定していたように村にひとつの神社まで神楽を見に行った。目と鼻の先にある神社だが滅多に足を運ぶことはない。子供の頃は、境内への真っ直ぐな道なりに何本も高い幟がはためいていて、歩きながら一つ二つと見上げる毎に祭りの高揚感は増していったものだ。花代の寄進にだけ足を運ぼうとしていた父は、初めて神楽を目にする嫁に付き添う格好となり、結局演舞見学を二つ三つ付き合ってくれた。奉納殿に入ったときはまだ四神を舞っていて客はちらほらだったが、次の八幡の題目が始まるころには周囲は一通り埋まっていた。人気のない寒村の社に一体どこから集まったのだろうか。舞子が器用に回転する毎にナフタリン臭い煽り風が頬をなでる。子供の頃舞を見ながら味わったその時の感情が一気に蘇る。古い破れ幕が降ろされ煙幕筒が焚かれた。煙と火薬の刺激臭が奉納殿に広がると囃子の調子は一気に加速し、それを合図に幕の背後から銀糸金糸の衣装袖を広げた鬼が現れる。幕を挟んだ鬼と成敗者との駆け引きがこの題目の見せ場だ。大太鼓と小太鼓の八拍子バチを腹に響かせながら、妻は食い入るように初めて目にする舞いに見入っていた。この田舎の精霊は遠い昔と変わらずこの地に宿り、今年も奉納舞に誘われて、舞う者と見る者達の高揚感にその影を現している。