2020年3月30日月曜日
今日の想い 1059
今の混乱をどう理解しどう解決したらいいのかを尋ねられたら私はこう答える。先天時代から後天時代に移ったことで今までの先天時代の論理が合わないこと、そして先天時代の人心の在り様が合わないこと、さらに先天時代にはない背後(天)の意志が働き、また人類として個人としても働かせる必要があること、その三つの変革の為に地上の表象として現れた最初の一つがこの新型コロナであって、このウイルスと対峙しながら実はそれを通して人類の変革を期待されている。これから起こる数々は共産主義でも資本主義でも解決できないし、どちらかというと独裁主義に近い教会の論理でもこの現実は解決できない。事態が長引けば長引くほど誰も何も宛にはならず、結局は自らで自らを理解させ解決させる以外ない。ということは自分の良心こそが自らが従う(絶対服従すべき)神様と相対できる唯一の存在であることを認めた者から解放される。この新型コロナウィルスに関していえば、もし感染するとすれば、人類全体としての払わねばならない犠牲という尊い使命を天から与えられた存在であること、また感染を逃れている間、或いは感染しても死から遠い間は、未来へ残すべき摂理を担う存在であるという両者共々天の真の愛の計らいによっていることに感謝すべきで、それが無ければ死と隣り合わせで平安は二度と訪れない。人それぞれは新しい時代を生きるため進化すべき人類の一細胞であることを忘れず、たとえ私が地上を去るとしても人類が生き続ける限り私はその中で生き続けるという確信が必要だ。死や地獄から救われたいという恐怖信仰に留まる限り、(それは食口に限らず人類の殆どが知る知らずに関わらず恐怖信仰だが、、)このウィルスにしろ地震や津波にしろ避けるべき悪霊の類にしか見えないが、実は人類が進化するための、個々の細胞である一人一人の深みに横たわる人類全体の深層意識がなせる業に他ならない。今の人類が後天開闢時代というステージを生きようとすれば、せめて天の祝福を受け入れることができる寛容の段階、すなわちウィルスさえも甘受しようとする意識まで頑なな心を砕かれなければならない。明日は我が身だとジタバタしてもどうしようもないと諦め気味に感情が和らいでこそ新(神)人類の細胞となるべく天の祝福を受け入れるだろう。このまま人類が頑ななままでは神人類選抜の為に山に登れという命が下されるかもしれない。御父様が何度も触れておられたD-DAY(天による戦闘開始命令)は始まったばかりだ。
2020年3月17日火曜日
今日の想い 1058
今が祝福中心家庭の正念場だ。後天開闢時代を開くにあたって全く新しい神人類として用意された私達だ、という自覚をどれだけの食口が持っているだろうか。この新時代は過去の延長の上に乗った時代ではなく、創造本来の時代としての本流であり、真の愛による神様の主管を受けて出発した、すなわち真の愛によって祝福を賜り、天の血統に接ぎ木された祝福家庭こそが、霊連性によって統治すべき時代だということだ。この時代を担うために私達は訓練されてきたし、待ち望んできたし、準備してきた。そうであればこの世の者達と同じように、新型コロナだ世界経済破綻だ世の終わりだと騒いでいる時ではない。御父様は基元節を待たずして聖和された。聖和されて今度は神霊として御父様に帰依し慕ってきた者達の魂に内面から直接働かれる。後天時代を取り仕切るために、敢えて肉体を去って神霊としての霊的存在になることを選ばれた。今こそ私達は祈って祈って祈りぬき、尋ねて尋ねて尋ねぬいて神霊として働かれる御父様の担い手になる必要がある。打たれておこぼれを奪ってきた過去から、先手を打って価値創造、環境創造の糸口を手にすべきだ。糸口を一気に引き抜けば形あるものないものあらゆる財宝を手にできる。御父様は歴史的ギャンブラーであり相場師だった。息子娘である私達も当然引き継いでいる。この世の者達が見えなかった、あるいは見ようとしなかった価値存在がこの地球に眠っている。そして眠っているのをたたき起こされたことによる埃やドタバタを、新型コロナや豚コレラ、或いは地震や火山噴火として現れたのを見ている。埃に囚われていて起き出した価値存在を見ようとしなければ、埃だけをかぶって天運を味方にできない自己満足の為の信仰だったと判断されても仕方がない。
2020年3月5日木曜日
今を生きる
旧約、新約、成約と流れてきた摂理歴史という大河は、本流ではなく実は支流だったということが後天開闢時代を開かれたことによって理解できる。本流の流れは夜の神様から流れてくるところのイエス様であり、イエス様の使命を受け継ぎ勝利されて本然のアダムエバとして立たれる真の御父母様だ。食口にとってそれを疑うことはないだろう。私達は祝福を受けることで御父母様という本然の木に接ぎ木されていて、それは個人の次元であるけれども、歴史時代の次元に立てば先天時代の流れを本流である後天開闢時代に接ぎ木されている。歴史が終末期に至って新しい時代が始まる訳だけれども、双合十勝日は先天時代と後天時代をつなぐ、すなわち先天時代を後天時代に接ぎ木する歴史の祝福式であるということができる。そしてこの時代に歩む私達は祝福中心家庭として、論理として理解するのみならず、本流の中心的存在として天の心情を抱き為に生きる生活と人生を通して本流を確かな大河の流れとする責任がある。しかし気持ちだけはやり空回りしてきた数々の先例を決して忘れてはならない。御母様が決意され結果を残すことを神様に約束されているように、今までのように御父様が我々が失敗する毎に許され、しかしまた信じて任せて下さったそのように御母様は私達には対されない。信じても裏切られることを知っておられるからもはや頼むこともされない。神霊の働く良心が立ち自主的能動的に結果を残して供える者だけを視野におかれるのは当然だろう。本物か偽りか、羊か山羊か、先天時代という支流が後天時代という本流にぶつかり、上下左右が反対になったりごちゃまぜになる混沌の時代であり社会である今だからこそ、食口のみならず万人が試される今を生きている。新型コロナなぞ構っておられないほどぞくぞくと人類に対する試練が訪れる。本物が残る面白い時代になったと、丹田に於ける真の意志を発動する者こそがこの荒波の中を新天地に舳先を合わせて航海し続ける。
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