2020年3月5日木曜日

今を生きる

旧約、新約、成約と流れてきた摂理歴史という大河は、本流ではなく実は支流だったということが後天開闢時代を開かれたことによって理解できる。本流の流れは夜の神様から流れてくるところのイエス様であり、イエス様の使命を受け継ぎ勝利されて本然のアダムエバとして立たれる真の御父母様だ。食口にとってそれを疑うことはないだろう。私達は祝福を受けることで御父母様という本然の木に接ぎ木されていて、それは個人の次元であるけれども、歴史時代の次元に立てば先天時代の流れを本流である後天開闢時代に接ぎ木されている。歴史が終末期に至って新しい時代が始まる訳だけれども、双合十勝日は先天時代と後天時代をつなぐ、すなわち先天時代を後天時代に接ぎ木する歴史の祝福式であるということができる。そしてこの時代に歩む私達は祝福中心家庭として、論理として理解するのみならず、本流の中心的存在として天の心情を抱き為に生きる生活と人生を通して本流を確かな大河の流れとする責任がある。しかし気持ちだけはやり空回りしてきた数々の先例を決して忘れてはならない。御母様が決意され結果を残すことを神様に約束されているように、今までのように御父様が我々が失敗する毎に許され、しかしまた信じて任せて下さったそのように御母様は私達には対されない。信じても裏切られることを知っておられるからもはや頼むこともされない。神霊の働く良心が立ち自主的能動的に結果を残して供える者だけを視野におかれるのは当然だろう。本物か偽りか、羊か山羊か、先天時代という支流が後天時代という本流にぶつかり、上下左右が反対になったりごちゃまぜになる混沌の時代であり社会である今だからこそ、食口のみならず万人が試される今を生きている。新型コロナなぞ構っておられないほどぞくぞくと人類に対する試練が訪れる。本物が残る面白い時代になったと、丹田に於ける真の意志を発動する者こそがこの荒波の中を新天地に舳先を合わせて航海し続ける。

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