2021年7月23日金曜日

今日の想い 1103

食口は責任感情の無さが肌に染み付いている。一方でアベルとされる中心者に対して絶対服従、悪く言えばイエスマンであることを当然とすることで、一方でそれは自分の意志に蓋をしてきたということであり、自らの意志による思考と行動の結果でないものには責任感情を持てないのは当然だろう。教会関連の事業がことごとく失敗してきたのは、そんな私達の信仰の在り様からしてさもありなんということになる。私が長く携わってきた店も統括するレストラン部も、目標だけは立てるもののそのビジョンや数値に対して責任感情を抱いて熱く目指すということにはならない。本心を尋ねれば、言われるから出しましたが何か?と冷めている兄弟しかいない。それはお前だけだろうと言われても仕方ないし、実際それに近いことも言われそんな視線の中で歩んできた。私達の中には何の根拠もなく、必ず成功するはず必ず摂理は為せるはず必ず賛同者が爆発的に増えて統一信仰が世界的になるはず、としてすべてに於いて盲目的な未来像で魂を満杯にしている。この食口の体質、というか魂質はそう簡単には変わらないだろう。しかし私はこれまでの歩みを悲観的に捉えるつもりはない。我々一世世代での変革は無理だとしても世代を二世三世と繋いで変わる必要がある。私達のイメージしてきた祝福家庭像、二世像、地上天国像等々がどれほど単純で稚拙なものかをここまで歩んできてやっと思い知るが、しかしどんなおとぎ話のようなイメージであってもそれで霊的腹を肥らせてきたのであり(教育されてきたのであり)、この世から浮いた次元世界に集められた者達がその中で霊的栄養として培ったものが確かにあるはずだ。頭脳の明晰さや実現への行動力はこの世の者達からは遥か劣るとしても、堕落を超えた新しい人類と創造的人間性を培う霊的中心核を戴いていることを忘れてはならないだろう。祝福を通して戴いたその種こそが神様の精子だと私は確信している。世代は何代か経なければならないとしても、必ずや実体的影響を地球村と世界人類に及ぼす存在は私達の内から創出される。訓読を通して流れる御言葉は、支流を経ながら統合されていき、御言葉が新たな地上的言葉を産み出す訓読大河となる。私達の言葉はより強くより深くなって、世界に大きな影響力を及ぼす創造的言葉に必ずなる。敢えて言えば私達の世代を経ながら、喉と口に神様の創造力が備わる。

今日の想い 1102

摂理として数え切れないほどの事業を立ち上げられた。しかしそのうちのどの事業が生き残っているだろうか。立ち消えになり忘れ去られた墓標ばかりが積み重ねられたまま今に至っている。手を付けて立ち上げることだけが御父様の責任であり、育てて大きくするのは私達食口の責任だと言われれば、それもまたどうなのかと首を傾げる。霊肉の逆説関係からすると、この世の失敗はあの世の成功につながることを意味しているとすれば、手を付けるもの手を付けるもの悉く失敗しながら、内的霊的に立てるものを用意してきたともいえるが、しかしそれは完全投入すればこその逆説関係であり、はなから責任も取らず内外の犠牲として投入するのでなければ手を付けられた意味はない。献身者は御父母様の手足となるべく指令する思考の部分を委ねて歩んできたが、創設に対する願いや想いを亡き御父様から相続してやり遂げる意志を持たない限り御題目のままで終わってしまう。従業員からマネージャーの目線、さらにオーナーの目線へと携わる者達が段階を上げていかなければ、どんなに資金を投入した事業も消えてしまう。それなりの社会的目線をもつ普通の従業員ならまだしも、思考なしの言われることだけに専念する機械的働きに終始してきた食口では、不思議なまでに掲げられた題目のみを唱え続けるだけで、この世に合わせ変化にあわせた変革の力をもった事業にはなり得ない。それどころか投入した資金をどぶに捨てて平然としているし、何の負債も責任感情も覚えない。事業に関わっていれば本当に奇妙な群れであることがよくわかる。責任という言葉の概念を持ち合わせない私達が、これからどうすれば獲得できるかを尋ねていかなければ、私達は失うばかりで次世代に相続できるものはない。