2021年7月23日金曜日

今日の想い 1102

摂理として数え切れないほどの事業を立ち上げられた。しかしそのうちのどの事業が生き残っているだろうか。立ち消えになり忘れ去られた墓標ばかりが積み重ねられたまま今に至っている。手を付けて立ち上げることだけが御父様の責任であり、育てて大きくするのは私達食口の責任だと言われれば、それもまたどうなのかと首を傾げる。霊肉の逆説関係からすると、この世の失敗はあの世の成功につながることを意味しているとすれば、手を付けるもの手を付けるもの悉く失敗しながら、内的霊的に立てるものを用意してきたともいえるが、しかしそれは完全投入すればこその逆説関係であり、はなから責任も取らず内外の犠牲として投入するのでなければ手を付けられた意味はない。献身者は御父母様の手足となるべく指令する思考の部分を委ねて歩んできたが、創設に対する願いや想いを亡き御父様から相続してやり遂げる意志を持たない限り御題目のままで終わってしまう。従業員からマネージャーの目線、さらにオーナーの目線へと携わる者達が段階を上げていかなければ、どんなに資金を投入した事業も消えてしまう。それなりの社会的目線をもつ普通の従業員ならまだしも、思考なしの言われることだけに専念する機械的働きに終始してきた食口では、不思議なまでに掲げられた題目のみを唱え続けるだけで、この世に合わせ変化にあわせた変革の力をもった事業にはなり得ない。それどころか投入した資金をどぶに捨てて平然としているし、何の負債も責任感情も覚えない。事業に関わっていれば本当に奇妙な群れであることがよくわかる。責任という言葉の概念を持ち合わせない私達が、これからどうすれば獲得できるかを尋ねていかなければ、私達は失うばかりで次世代に相続できるものはない。

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