人類歴史は楽園追放から始まって、原因が自身によるもの他者によるものに関わらず、降りかかる問題の解決に汲々としながら歴史を紡いできた。今現在も刻々と降りかかる問題に対処するために時を刻んでいる。問題があるという現実は堕落の原因によるものかもしれないが、その現実自体を善悪の道理で判断してもそれは解決の道筋とはならない。現実という結果は現実であって時間を遡らないかぎり実世界からは否定のしようがないからだ。原理脳の食口は理由付けはしても実世界から逃避していて現実を受け止めていない。私達の中には欲望がある。それが堕落的に思えるようであっても事実存在するのは否めない。どれほど否定しようとしても否定できないのなら、抗うことだけに終始するのでなく現実を受け止め、欲望をして如何に摂理に貢献できる自分になるかに意識を向けるべきだ。触れずさわらずの性欲、情欲に対しても同じで自分の中に事実あると認め、はなから否定するとしてもあるという事実は否定のしようがないので、であれば良心と相談しながら少しでも良心の願いに応えられるよう、如何にしてこの欲望を使うかだろう。後天時代は二元論では先に進めない時代だ。善が悪になり悪が善になりうる時代で、それを表面的に見るなら善なる神が働いていないような混乱と混沌にしか見えないが、良心に働く神は益々その形を現すだろう。このコロナウィルスの蔓延が人類の良心を触発するかもしれない。遠からず来るであろう、自由主義資本主義世界を一瞬で崩壊しかねない金融経済ショックも人間の本質に立ち返らせる良心を触発させるかもしれない。これらのことは私の中では既に見えない事実として実感している事柄だ。これから御言葉が神様の福音としてその価値を発揮する。み言葉を教条的に捉えることはやめてその本質を尋ね関わる食口こそが神の摂理に選ばれた者達だろう。
2021年8月29日日曜日
2021年8月15日日曜日
今日の想い 1104
この困難な時代を生き抜くには、生きる指針となる霊的支柱が必ず必要になる。今までは体が主体であったから、生活の安定やより肉体的喜びを求めていれば信仰を持たずとも地上生活はそれなりに成り立った。しかし多くの者達が知らない、食口さえも認識の薄い事実がある。それは先天時代から後天時代へと天宙史的大変革が為されたということだ。その人類としての意味は体主体から霊主体に変革したということだ。霊主体になるということは体の側からの認識をいうと地上と霊界が隔てられることなく直接つながったことを意味している。胎児は母体という壁を隔てているので外界の影響を直接受けることはないが、その壁が透明になり薄くなることによって影響を受けてしまうように、天宙の母体であるガイアという地球はその在り様を一変させて霊的影響を受け入れやすくなる。胎児は肺呼吸を初めて肉的五感を開かないと外界に対応できずに影響を不都合に帯びかねないが、この地球の変革期に於いても霊主体を受け入れなければ、この変革のなかに不都合なまま放り込まれて不自由に暮らしてしまうだろう。時代が様変わりした、体主体から霊主体に生まれ変われ、という声にならない天の忠告は、自然現象や起こっている事柄を通して天使が喇叭を吹くように叫ばれているのであり、祝福を通して新しい霊を戴いた食口であれば当然誰よりも早く認識できるはずだと思うのだがどうだろうか。地球の状況、社会の状況を俯瞰して見ながら、霊的に見通すアンテナと触覚を用意して、自分の生きることの意味と使命を受け取って、この時代を切り開いていく必要がある。
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