2021年8月29日日曜日

今日の想い 1105

 人類歴史は楽園追放から始まって、原因が自身によるもの他者によるものに関わらず、降りかかる問題の解決に汲々としながら歴史を紡いできた。今現在も刻々と降りかかる問題に対処するために時を刻んでいる。問題があるという現実は堕落の原因によるものかもしれないが、その現実自体を善悪の道理で判断してもそれは解決の道筋とはならない。現実という結果は現実であって時間を遡らないかぎり実世界からは否定のしようがないからだ。原理脳の食口は理由付けはしても実世界から逃避していて現実を受け止めていない。私達の中には欲望がある。それが堕落的に思えるようであっても事実存在するのは否めない。どれほど否定しようとしても否定できないのなら、抗うことだけに終始するのでなく現実を受け止め、欲望をして如何に摂理に貢献できる自分になるかに意識を向けるべきだ。触れずさわらずの性欲、情欲に対しても同じで自分の中に事実あると認め、はなから否定するとしてもあるという事実は否定のしようがないので、であれば良心と相談しながら少しでも良心の願いに応えられるよう、如何にしてこの欲望を使うかだろう。後天時代は二元論では先に進めない時代だ。善が悪になり悪が善になりうる時代で、それを表面的に見るなら善なる神が働いていないような混乱と混沌にしか見えないが、良心に働く神は益々その形を現すだろう。このコロナウィルスの蔓延が人類の良心を触発するかもしれない。遠からず来るであろう、自由主義資本主義世界を一瞬で崩壊しかねない金融経済ショックも人間の本質に立ち返らせる良心を触発させるかもしれない。これらのことは私の中では既に見えない事実として実感している事柄だ。これから御言葉が神様の福音としてその価値を発揮する。み言葉を教条的に捉えることはやめてその本質を尋ね関わる食口こそが神の摂理に選ばれた者達だろう。

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