2022年6月12日日曜日

今日の想い 1156

 先天時代の終末は後天時代を新たな人類として歩む為の、いわば準備期間であり教育期間だった。世間には多くのスピリチュアルな団体や個人が存在するが、どれもこれも耳に優しいスピリチュアルもどきに留まっている。本当の精神世界である神霊界を見届けようとすれば並々ならぬ苦労を越えなければならない。より苦労した者がより準備した者といえる。アボジは私達の教会を苦労の百科事典だと言われたが、食口にはどれだけ苦労してきた実感があるだろうか。苦労して苦労して更に苦労することで、魂がこなれ柔軟になり神霊界に相対できる魂が用意されていく。後天時代に入って誰に支持するかが未だに重要視されているようだが、正しいか否かが問われるのではなく、この世に生を受けた以上それぞれの願いがあって存在しているのだから、良心がそれに反することはあり得ない。そうなると中心的人物に全てを帰依することが生を受けた自らの存在目的を背後に回してまで優先することなのかどうかということだ。アボジの勝利圏、真の父母の勝利圏は共に歩んできた私達一人一人の中に相続され息衝いている。それを実感できていなければこそ誰につくかというようなことが問題になる。誰につこうがつくまいがそれが問題ではなく、自分と異なる思考や行動を起こした者への批難の方が余程問題だ。皆が皆良心が霊肉を纏った存在だ。自らの良心を神様として敬うなら他人に住まう良心をも敬って当然であり、頭から批判し非難する者達は相手に対する敬意を持たない良心否定の立場に立っている。

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