日本は「忠孝の源」と語られたのは、おそらくだが、武士道精神を日本人に見ておられたからだと思う。正月に入るや否や日本は打たれた。他国から打たれるのではなく鉱物世界、すなわち自然から打たれた。蕩減が人間の意志でもって晴らされるものであるなら、人間の意志を超えた意志で晴らされるものが蕩尽だろう。日本は地震国だ。その意味は人間個人ではどうにもしようがない、日本が何らかの神霊の意志に主管される国だということだ。はからずも昨年は日本食口は世間からも国からも迫害を受けた。裁判の結果に委ねられるわけだが、しかし例え解散に値しないとなったとしても既に社会的制裁は教会組織はおろか個人も家庭も受けている。私達は所詮苦労するように摂理されているから良しとしても、問題は日本の国と国民から教会を打たせる条件を我々故につくってしまったことだ。結局メディアを野放図にさせて打たせてしまい日本は天が日本を打つ条件を負ってしまった。もちろんそれが天災に遇う直接的条件だとは思わないが、天が日本を打つ引鉄の役目はそこにあったと私は見る。でも表面に現れない日本の根底に武士道精神が流れているからこそ、いざ打たれる時には言葉もなく打たれるのであり、死ぬときには騒ぎ立てることなく綺麗に死んでいく。自然災害国家日本の民は、災害が起きるそのときほど民族の精神性を現すことはない。日本の被災者は何の文句も言わない。生きているだけでありがたいと思っているし、愛する者達の死も恨みなく受け入れる。ここ数十年は平和ボケ故に日本の村意識がマイナスに働いたが、日本の危機的状況の中では逆に、この村意識が一気に日本国民の危機対処体質を醸成させる。危機的状況の中でこそ日本文化である武士道はその刃を研ぎ澄ます。かつては並みいる列強国家に包囲されながら生き延びてきた。今回は自然災害、周辺国家の攻め、更には経済恐慌が同時的に起こるやも知れない危機だ。危機的空気の圧縮された底に落とし込められることで日本人は霊的息吹を蘇生する。初めて信仰と希望と愛の意味を逆説的状況の中で知るようになる。
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