2026年2月1日日曜日

今日の想い 1449

 原理を理解するのは知の力に依っている。知の力、すなわちルーシェルの力でもって原理を理解しているという、この意味することはルーシェルを超えることができないと言うことだ。ルーシェルの誘惑によって人間は堕落したというこの事実を、どこまでも知の理解に委ねる限りは堕落の本質をとらえることはできない。孫悟空がどこまで飛んで行ってもお釈迦様の手の内だったというように、ルーシェルの手の内から解放されないのが堕落人間だ。ではどうすれば人間は知を超えた理解を受け取ることができるだろうか。私達は原理を土台にして想像を展開しながら、復帰された人間のイメージやら社会のイメージがどんなものか、復帰され創造本然の理想社会に対する様々なイメージを中心者やアベルの言葉を通して植え付けられたものの、時を経るごとに突き付けられる現実によってことごとく裏切られてきた。先ず原罪がないとされる祝福二世に対するイメージが壊されるところから始まり、御子女様のイメージの崩壊であり、それは御父母様のイメージまでも壊さざるを得ないところまで行きつく。そこで、御父母様の勝利圏は偽りで、よって原罪は残り続けると結論づけるのか、はたまた私達の原罪から始まる理解の方が違っていて、よってその理解で測ろうとするから勝利されていないように錯覚してしまったと学ぶのか、どちらかに舵をきることになる。私達は知の力のみに頼る理解ではなく、知を含めた魂(知情意)全体で探求し理解する力が必要だろう。しかし魂全体でもっても理解に及ばない、魂の位相を超えた叡智であるとか心情による理解は、高位相の神霊から受け取るもので、それは神霊に相対する自分を用意する宗教的敬虔な態度を信仰路程でどれ程学んだかに依っている。言葉で述べるのは簡単だが、ここでも知の力、ルーシェルの力に依らざるを得ないという時点で限界はあるのだが、今はルーシェル自体が屈服されているので言葉で論理的に述べるのも決して間違いではなく、神霊に向かう一助けにはなる。

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