2019年2月9日土曜日
創造過程は混沌から秩序への路程
み言葉の理解は霊界様相の理解の上で本質に近付ける。「平和の主人血統の主人」は預言書でもあるが未来の地上の予言というより霊視に近い。黙示録を地上的言葉として理解すれば訳がわからなくなってくるのと同様に、「平和の主人血統の主人」も地上的言葉として理解しようと思わないで御父様の霊視だと捉えて、霊界を理解しようとする意志を同時に持ち合わせながら読み解くことが必要だ。地上の現実は原因的霊界の結果的表れであるけれども、或る事の説明を比喩や例えで表そうとすると何通りにもなるように、結果に対する原因的背景は何通りもあって、よって結果の全ては既に決められているというのは正しくない。このみ言葉に表されていることが言葉通りにそのまま未来に現れるのではなく、霊視はあくまで結果に対する比喩や象徴の類のものであって、結果の在り様は決定される事実とは異なる。「平和の主人血統の主人」は既に100回以上訓読している。走り読みを含めればその何倍にもなる。最近は理解できなくて当然だと思って読み進めているので焦りはないのだが、このみ言葉の背景に段階的土台となるみ言葉があって当然で、更にそのみ言葉は「平和の主人血統の主人」の過去にさかのぼるみ言葉と後に語られるみ言葉も含まれ殆どみ言葉の全てにわたる。そうなると自分一人はおろか、数代にわたってみ言葉研究しても追いつかないだろう。結果的存在の地上人間から原因的存在としての霊界人間になれば、せめて疑問に思えた部分においては答えを得ることができるという期待もあるが、地上で解いてこそ意味があるのであってその理解に至る身悶えは混沌から秩序への創造過程だともいえる。教会の混乱の事実とそれに付随する摂理の混乱、個人の混乱も含めて、それは創造以前の混沌状態と同じであって、良心に映し出されるみ言葉の本質と照らせ合わせながら秩序立てていくことが要求されている。混沌から秩序へと後天開闢時代の基礎造りに励んでいる。
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