世間の話題に乗り遅れまいとして「鬼滅の刃」を老夫婦ふたりで観に行ってきた。耳をつんざく音響の嵐だったが、それでも妻は上映半ばで眠りに落ちていた。後で触れるとほんの数秒だと切れ気味に返してきたが、肩の影が落ちて5分以上は経っていたと思うから、きっと登場する眠り鬼と呼ばれる魘夢(えんむ)の術中にはまったのだろう。話の筋は実に単純で、列車に乗り移った魘夢という鬼と、後に出てくるより階級の高いアカザという鬼と、対する鬼滅隊との闘いだけで完結する勧善懲悪の話だ。おそらく子供世代の魅力は迫力ある戦いの描写と音響の凄まじさでヒーロー感に浸れるところだとは思うが、これが全世代に受け入れられるというのは、人間存在や生きることの意味を問わざるを得ない人間のサガが、彼等の生き様によって深層から呼び起こされるからだと私は見る。失った家族に対する炭治郎のやりきれなさや想い、自分だけ生き残ったことの負債感とその意味、鬼と闘う以前に本人の内面世界に於いて熾烈な闘いを繰り広げる。それは主人公の炭治郎だけでなく登場人物、更には鬼までその内面世界の闘いを描写しようとしている。だから発する言葉以上に自分自身や過去への問いの言葉や闘いの言葉が全編に亘って述べられている。引き込まれながら盛り上がっていく観客の感情は、身を挺して鬼を成敗する場面で最高潮に達する。それらしい名称の剣裁きの走る閃光に場内全体が晒されるのも興奮を高めるが、それ以上に観客が矢継ぎ早に浴びるのは、鬼の誘惑の問答に惑わされず人々を守る為に生きて死ぬ決意、その高みに生きる魂の喜びを表現する力強い言葉の数々だ。その保身の微塵もない清々しさは涙腺を完全に開放させて見ている誰もがその頬を光らせる。頬を拭いながら劇場を出て、暫くは皆が優しくいい人になっている。うるさかったと言いながら後にした、魘夢の術中にはまった妻を除いては、、。
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