2020年11月9日月曜日

今日の想い 1082

多くの一世が人生を捧げ、歩んで残した功績は何なのか。もし次世代や後孫に残す遺産が何もないとしたら、私達の人生は只の無駄骨だったということになる。それでいいわけはないしそんなはずはない。たとえ御父様が地上におられないとしても、また御母様に対する様々な思いがあるとしても、私達は地上にありながら霊界に生きているし、時代時間を遡って勝利的内容を取り出すこともできれば未来のあるべき世界を見据えて今をそれに合わせて用意することもできる。御父様は今尚生きて私達に働いておられるし、御母様の勝利圏は御母様にとどまる以上に私達の中に存在して留まっている。その認識を得て生きてこそ私達は次元を超える存在だといえるだろう。神様に対する認識であるとか、霊界に対する認識であるとか、見えない先祖に対する認識であるとか、それは存在するとかしないとか、どんな状態かなどという地上的問いに留まらず、人生を捧げ貫いた信仰生活を通してつちかった内的意識の持ちようが、地上を超える霊的意識として備わっているはずだ。私の意識に霊的存在や環境が関与している。当然そんな意識をもって得る認識も地上的認識を超えている。今私が良心を通してもっとも意識をもち想いを深め愛する対象が誰なのか、或いは何なのか。それぞれにはそれぞれの天の使命があり、それ故に異なる個体であり人生なので十把一絡に愛する対象を固定するのはおかしい。御父母様と共に歩んだ先天を通してそれなりの心情圏を相続したのであれば、良心の声に蓋をして、意識の殆どを御母様と教会だけに向けるのもおかしい。本人は絶対服従で歩んでいるつもりでいても、実際はそれほど肩入れしてもいないしそれが私の使命だと意識的に歩んでいるわけでもない。わからなくて不安と恐れがそうさせている。相続した心情圏の土台に建てた私自身の霊界を生きる自分に自信がもてないが故に、すがる存在としてそれが御母様であったり特定の御子女様であったりしている。どう信仰しようが誰に帰依しようが、しかし結局は私の霊界は私が創造し私が背負っている。蕩減などの霊的事実を背負うというより霊界そのものを背負っているというのが御父様の見解だ。そして私達の功績はそれぞれが創造した霊界だというのが私の見解だ。霊界は心情圏と同義語だ。

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