2020年11月14日土曜日

今日の想い 1084

 今御母様は裸の女王様だ、といえば憤慨されるだろうか。当然憤慨され反逆者の烙印を押されるだろう。責任者達の前で語られたお話しの内容に目を通しながら、そんなことを思った。生活やお金の苦労はしておられないとは思うが、御父様を亡くされた余生をどうして敢えて内面の孤独な道を選ばれ苦労されるのだろう。御母様がその言動に全き自信を持たれ、たとえそれが神様との直接問答による答えだとしても、それでも、強調されれば強調されるほどに食口達は距離を置く。聖霊に反すればどうなるかというような、そんな脅迫紛いにも取られる言葉まで使われながら、御自身を冷たい境地に追いやられる。教会にも事ある毎に霊的媒介に携わる食口は現れたけれども、その末路はいずれも首を傾げるものだった。傍目から見てそうだっただけで、本人は使命に預かった自負と内的達成感を得て満足しているのかも知れないが、、。御母様も物静かに平安な余生を送られるのであれば誰も批難する者などいないだろうに、御母様には御母様の摂理観があり、その使命と責任を全うしようとされればこそ、多くの者が受け入れがたい新たな霊的解釈や概念を口にされながら一人孤独に登りつめようとされる。食口にしてみれば御父様の残されたみ言葉ですら咀嚼できていないのに、どう新たな概念を受け入れられるのか、混乱必至でその反動として自ずと批判に向かわざるを得ない食口がでてくる。考えてみれば、教会基盤が立ち御父母様と仰ぎ見られる以前には、明らかにされつつある御父様の非原理的に思える数々の行動があり、御父様を亡くされてから今度は、御母様の、原理を否定されるような全食口を振り落としかねない数々の爆弾言動がある。地上的判断をすれば御父様も御母様もハチャメチャだということになる。低次元の霊媒に関わらずとも、霊的なことに関わる、特に御父母様はその霊的本質の本質に関わっておられるので地上の理解は得がたいし、困難はつきものなのかも知れない。奇跡を使い過ぎてイエス様は条件を失われたように、霊的救いを頻発されて御父母様は条件を失われたのかも知れない。こういった私の言いようが批判的物言いに見えるとしても、それでも私は御父母様によって重生した事実は誰よりも認識しているつもりだし、御父様の過去や御母様の現在がどうあれ、私の御父母様に変わりない。いまだに霊的無知を超えられない位置にいる以上、私の理解は私の理解に留まっていて間違っているのかも知れない。しかしそれでも、何らかの理解を踏まえなければ次に進めないのが人間であり、と同時に間違いが認められれば直ぐに悔い改める覚悟は備えたい。何もできない足踏み状態で時間を遣り過ごすことも、それなりの条件にはなるのだろうか。

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