2021年5月20日木曜日

今日の想い 1099

 天地と言う場合、天が男性的であり地は女性的だ。歴史上の預言者達は天の神霊を受け取るために内的には受動的な立場である女性、すなわち聖霊が彼等に作用している。だから神霊を受け取ることができた。キリスト教でもイエス様が召されてのちマリア信仰に重きを置かれた。それはイエス様の霊を愛し受け取ろうとすれば、聖霊的要素を自分の中に組み入れないとイエス様が訪ねられることはないからだ。御父様が実体御言葉であられ御母様は聖霊実体だという理解はあるものの、神霊となられた御父様と相対基準を為して受け取ろうとすれば、御母様信仰を通して聖霊的要素を組み入れることで、私の中に御父様の霊を受け取れる聖霊の基台をつくらなければならない。しかし御母様信仰が、ただ御父様を排して御母様を奉るとなると、方向性としては異なってくると思われるのが私が憂慮していることだ。御父様が勝利されたのは御母様が相対として立たれたが故だ。今の現実的表象がどうあれそこに疑いを持つべきではない。私達の御父母様に対する中心的想いは、霊的に勝利された御父母様であり、現実に見える仲違いや否定、たとえそれが言葉や表情に出されたとしても、それらは積み上げられてきた霊的勝利圏を瓦解させるものではない。食口は今の状況をどう捉えるかだが、敢えて一言提言するとすれば、現実的(地上的)御母様を通して霊的な御母様、すなわち聖霊実体を認識することが天の願いだということだ。霊的無知な存在が霊的な聖霊実体をそのまま認識はできない。現実をとおして霊的な事柄を見聞きしようと思えば、現実を霊的な逆説と捉えることで認識の入り口に入ることができる。何度も例にとっているが、癒えぬ病気を通して健康な時とは次元の異なる健康の有難さを知るようになる。健全者にはけっして到達できない健康に対する感謝の意志を発する。その意志で霊的な健康体を作っている。地上と霊界の逆説的意味はこの例だけに留まらずあらゆる状況に当てはまる。霊的には目に映る御母様御自身が問題ではなく、逆説的に御母様への思慕を自らの意志として育てるかだ。御母様どうされましたかと、嫌われても訴えるほどの愛する意志を育てることだ。

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