2021年9月19日日曜日

今日の想い 1108

人間の本能として食欲、睡眠欲、性欲がある、というのは唯物論からくる説明でしかないから、思考する意味があるのかどうか疑っていたが、実は意志との関わりで欲望は否定しようにも否定できず無視できない。食欲は生命体維持のためであり、睡眠欲は魂体維持のためであり、そうなると残る性欲は自我の維持に関係している、というのは仮定として十分成り立つ。欲は主管すべきものであっても否定されるべきものではないはずだ。如何に食べるか睡眠を取るかであるように、如何に性欲と関わるかが問われることになる。殆どの先進国と言われている国々は一夫一婦制を取っている。しかし世界には一夫多妻制もあるし少数派であってもその逆もある。更にヒッピーがいうようにフリーセックスで夫婦制を否定する者もいる。更に混乱を来すのはホモセクシュアルやレズビアン、ジェンダーフリーという問題も相まって性の在り方は混沌状態だ。性でこそ新たな自我の創造はなされるけれども、人間堕落の原因でもあるという複雑な背後が性欲に関係している。食口でさえも一人の相対であるとか相対以外との関係は持たないとかという、禁欲であったり教条的なことでしか性欲を取り扱わないけれども、性に関係することはある時から最も重要な御言葉だという認識はあった。ある時から御父様の御言葉はほぼ性に関することだった。それは自我の維持と成長に大きく関係しているという仮定が正しいことを証明していないだろうか。良心の働きを自らの中に活き活きと実感する時代は、良心を通して人間は自我存在であること、更に自我と性欲と愛の三つの関係性を見通すことができる時代だといえるのではないだろうか。自我と性欲だけではなく、自我と愛、愛と性欲の三位一体の関係性で立てる新たな堕落のなかった人類を後天時代に立てようとされている。ただ表面的に言われたことに終始することで御父母様に侍ることとする盲目的私ではなく、良心の声に侍れば摂理観は自ずと立つのではないだろうか。

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