自我の在り様から近代史を見たときに、かの敗戦という事件以上に日本人に影響を及ぼした事件は他に見ないだろう。明治政府が立って西洋化近代化し、文明開化と言われるほどに様変わりしたのは事実だが、しかし自我の在り様がそれに伴って様変わりしたとは思わない。戦争に突入した時、一億総決起、国民一丸となって鬼畜米英に立ち向かった。それは国民それぞれに様々な思いがありながらも、国家権力に押しやられてのことであって、国民は被害者だったと言いのけることができるだろうか。事実は日本人の自我の在り様は上に倣え右に倣えで、特別に意見や思いを持つまでもないというのが日本国民大方の意識だった。それは先天時代の日本食口の在り様とよく似ている。しかし敗戦で日本人はそれまで思いだにしなかった、天皇は人間天皇だという認識を持つようになる。日本国憲法第一章第一条に謳われている、天皇は日本国民統合の象徴とあるように、神聖であって不可侵である天皇に主権があったのが突如として人間天皇になり国民に主権が在するという、日本人にとって私という意味が全く変わってしまった。それこそが敗戦の意味であり、日本国民は鬼畜米英によって自我を開放されたことになる。もちろん米英がそう仕向けたのではなく結果的にそうなったのだが、背後に日本人自我解放の天使軍が働いていたからこそだと捉えるのは、霊界を信じる私達にとって当然だろう。歴史を表面的になぞるだけでは背後の位階の高い霊的存在達の駆け引きは見届けられない。しかし後天時代に入り、良心の声が強くなり、自我存在だという認識が益々無意識圏から意識圏に引き出されれば、背後の霊界の動きが手に取るように理解できるようになるだろう。
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