2023年2月4日土曜日

今日の想い 1124

 一方で全体主義があり、それに対する個人主義がある。全体主義に傾きすぎると個の否定であり、個人主義に傾きすぎると社会の否定になる。共産党一党独裁の国は全体主義国家だろうし、グローバリスト達が目論むボーダーレス社会も、何某かの権威集団独裁のグローバル全体主義世界だ。現代人は個人個人では生きられないから何らかの社会によって生かされている。よって完全な個人主義国家というのは当然あり得ないが、民主主義という或る意味の妥協主義によって世界平和を目指して来た。しかし暫定的な妥協主義であるだけにここにきて行き詰まっている。さて私達が目指すべきとされてきた共生共栄共義主義社会だが、全体の為に個を犠牲にする思想が基にあるのだから民主主義よりは全体主義的だろうと思われる。思われるとしたのはその社会について深く尋ねたことがないからだ。それは私だけではなく殆どの食口は尋ねる意志も余裕も持たなかったはずだ。私達が同じ思想を持つ私達だけで国家を形成するとして、どう共生共栄共義主義社会を目指していいのかわからない。信仰論理は理解しても、意外と私達の理想イメージは説明もできない貧弱なものだった。ただただメシヤであるアボジに従っていれば、自動的に地上天国であるそういう社会になると信じていた。目指す社会がどうであるかは置いておくとしても、アボジの指示絶対の、メシヤ権威による全体主義であるのはそうだった。

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