2023年11月2日木曜日

今日の想い 1274 (聖杯伝説)

 アーサー王と12人の騎士の話は、伝説として一つではなく様々な話として語り継がれているけれども、その真意をあぶり出したのはシュタイナーだ。しごく簡単に説明すると、ミカエル大天使と繋がる一人のアーサー王という中心と、彼を取り巻く12の騎士は一つになっていた。しかし皆が一つになっている円卓上に聖杯(キリストの権威を象徴する聖なる器、最後の晩餐でイエス様が使われたとか磔刑のイエス様の血を受け取ったと言われる器)が現れて、そしてどことも知れず消え去ってしまった。一つになっていた12の騎士はその聖杯を探すべく散り散りになり、一つになっていた円卓は壊れてしまった。それからそれぞれの騎士が聖杯を求めて旅する話は続くけれども、要するに、中心とされて一つになっていたものが崩れ、新たな中心となる聖杯をそれぞれが探し求めるという伝説だ。シュタイナーはこの伝説を、キリスト精神を宗教的権威から受け取るのではなく、それぞれの内面の霊的主体から直接に受け取る時代がくると言っている。私は彼のこの霊的指摘をアボジが指示されたみ言葉にみたときに、彼を導きそしてアボジに使命と摂理観を与えた神霊は同じだと確信した。教会の宗教権威を中心として一つになっていた統一の群れは、アボジの良心宣言で宗教組織ではない家庭連合へと変革された。それはまさしく伝説の中の円卓の崩壊であり、良心革命によってそれぞれが直接に神霊を受け取る、謂わばそれぞれの内面に聖杯を受け取る過程にある。聖杯はその言葉の通り聖器であり、聖器は性器であって、良心と絶対は相通じており、良心の研鑽に絶対のあり方は必要不可欠だと思っている。「逍遥から本殿に向かって」で記したように、本体論の中心である絶対の概念を受肉しないかぎり、神霊一体圏にある良心を受け取ることはできない。

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