騙される者はどこまでも騙され続ける。騙されていると本人が認識するまで騙される。騙す当人からすれば、騙さなければ他の誰かが現れて騙すのであって、どうせ騙されるならちゃんと金の使い道を知っている私が集めて当然だ。アボジがそう思っていたかどうかは別として、もし教会に騙されたと思っているのなら、教会を恨むのはお門違いで騙されやすい自分自身を先ず恨むべきだろう。アボジは日本食口が生活が破綻するまで献金し続けるとは思ってもいなかったかもしれないし、家庭問題が出て家計が破綻するほどに出金を主管できないとはどういうことか、という具合に頸を傾げたかもしれない。同じ成約の信仰を持っていても貧しい者もいれば一財産築く者だっている。財産を築く者は当然騙されることなどない。元ある財産収入を端から献金すれば当然貧しくなるのであって、それだけならまだしも国や地方のお世話になる者もいる。貧しくなって恨みを抱き、国や地方のお世話になって誇りを失う。日本食口の多くはそこまでは落ち込まないにしても、現実として生活苦に喘いでいる者は多い。でもそうやってお金の苦労をして初めてお金の意味や有難さを知るのであり、万物主管の本質さえ理解すればお金は集まり一財産築くのに数年もかからない。多くの食口は教会に来なかったとしても騙されたか財産とは縁遠い者が多いはずだ。日本に目を向けると、国民は何もない食べるものすらない位置に堕とされて万物の有難さを知った。それ故に働きに働いてGDP世界一にまでのし上がった。しかし生まれながらにして飽食でありモノが溢れていると万物の有難さは学ばない。お金の価値、万物の価値がわからなければ当然のこと稼ぐために心魂を注ごうとは思わない。この論理からするなら二世は生まれながらにして貧しく、少なくとも普通の日本の若者よりはお金の価値を理解している。一世は貧乏を受け入れても二世は求める故にしっかり稼ぐし、思い込みで全て献金することもしないはずだ。そんな二世は世界に羽ばたくべきだ。これから日本は確実に右肩下がりの貧しい国になるのであり、貧しい国ではビジネスも難しいし財産構築も難しい。世界的通貨バブルが弾ける2025年、日本はどう舵を取るのだろうか。そして二世達はどう生き延びるのだろうか。混沌と波乱の中でこそ真の霊を戴いた者は水を得た魚になる。
2025年1月1日水曜日
年跨ぎの想い 2024~2025(2)
過ぎてみれば全ては愛であった。アボジは有難くも私達にこの言葉を残してくださった。苦労の歩みが苦労した恨みとして残るのではなく、苦労は愛に昇華される。祝福として新しい霊を戴いた私達は先天を超えて後天時代を迎えている今、死を超えてやっと苦労が昇華されるのでもなく、長い時間を経て苦労の意味がやっとわかるというのでもなく、新しい霊の自分が立つようになれば瞬時にその意味が解り昇華される、そんな時代が後天開闢時代だ。私達はどんな苦労も昇華させることができる。勿論苦しいのは苦しいし、悲しいのは当然悲しい。地上で生きるとはそういうことだが、その意味を教えられ愛に昇華させることができるのが祝福家庭だ。甘受するという言葉を私達は持っている。私に起こる嫌う事柄を受け取って内面に起こりうる様々な感情を甘受する。兎に角先ず甘受する。この甘受するという感性を学ばなければとても愛に昇華させることなどできない。魂の苦い食材を味わいながらでしか新しい私は堕落の私の陰に隠れたままで形を現すこともないし成長させることもできない。それでは今までの苦労は流されて終わりなのかというと、霊に時間は関係ない。昔の苦労の昇華は今でもできるしできないとするならどうせ霊界に行くのだし全ての苦労はその時清算され、愛すなわち霊界では霊の環境圏や財産として天に宝を積みあげる。だから今の苦労は今しっかりしなければならない。私達は天の加護の中にあるから時が来れば明らかにされ報われると楽天的に構えている場合ではない。迫害の中にあるなら迫害されて受ける苦労や恨みや怒り悲しみの感情をしっかり受けるべきだし、他人事のように能天気に微笑んでいてそれが天の願いだと思っているならお門違いだ。成約の信仰は激しい喜怒哀楽であり、地上の安らぎからは最も遠いのが本物の信仰だ。