顧問弁護士の言動を垣間見ただけでも良くわかるが、教会は法を盾に反政府の立場でずっと一貫し、寸分の理解を示す意志もないし、膝を突き合わせ胸襟を開いて謙虚さを示しながら妥協点を見出そうと折れることもない。教会にとって解散命令は死を意味することだと十分わかりながらも、何とか生き延びる道をと探ろうとしないのはトップ達の独善性と傲慢以外の何ものでもないだろう。死んだら終わりだということがまったくわかっていない。解散が確実になった場合はトップ層は辞任に留まらず死をもって報いることが当然だろう。それ程の重い案件でありながら、おそらくそれ程の個人的な決意も覚悟もなく、教会は解散しても自分は信仰を保って生き延びると我意識せずに思っているはずだ。責任者は何万もの食口たちの信仰の生命も生身の生命も引き受け背負っている立場で、それは万死に値するほどの責任だという認識に欠けている。霊感何某を牽引し、高額献金を牽引してきたかつての責任者達も表に出て謝罪すべきだ。日本に対しても日本国民に対しても、もちろん食口達に対しても謝罪すべきだ。おそらくアボジの命令、アベルの命令に従っただけだと自分に言い訳して表に出ないのはわかっているが、それで許されるはずのないことは良心に尋ねれば即座に答えはでる。解散命令が出れば献金要請に応じる必要もなく、おとなしく信仰を保ち静かな余生を送ると思っているのだろうが、あり得ない。解散してから恐ろしいほどの試練と闘いが待っている。神の名によって生きた者は神を裏切れば生きて地獄が待っている。今は時代的に良心作用が鍛えられる修練の期間であって、そのうちに良心を裏切ればその呵責は死ねるものなら死にたいと思うほどに大きくのしかかるようになる。良心に応えれば大きな安らぎを与える女神となり、裏切れば空恐ろしい鬼となって襲い掛かる。それが良心という内在神だ。平食口も位置のある責任者も人である以上この良心を抱えているのであり、誰一人良心という神から逃れることはできない。解散という結果を受け取って、準備すべくは外部からの仕打ちや攻撃ではなく自分の内面からの仕打ちであり攻撃だ。
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