歴史を変えてきたのはいつの時代もはみ出し者だ。変わり者ではなくはみ出し者で「出る杭は打たれる」立場の人間だ。かつての教会はそういう類の者達の集まりだった。しかしいつのまにか魂を抜かれてしまって今は只の変わり者の集まりになっている。変わり者では歴史を動かせない。変わり者もはみ出し者も村八分に合うが、変わり者は打たれて終わりだがはみ出し者は打たれれば打たれるほど魂をより燃やす。この伸るか反るか、生きるか死ぬかの闘いなのに教会トップはどうしておとなしい者しか表に出さないのか。教会の男たち自体が去勢されて(与えられた女にのみ生涯おとなしく連れ添わなければならない)、自分を抑えて抑えて生きることを強いられているからどうしてもおとなしくなるのだが、しかし教会の女は違うだろう。アボジーと絶叫して祈祷しながら摂理を牽引してきたのは実際女たちだった。教会は論理と理性で時代を走ってきたのではなく、感情を爆発させることで現代摂理を牽引してきた。だから男たちではなく女たちの教会だ。それをこの背水の陣の状況なのに今更に男を前面に出して突破できるはずもない。熱情もあり口数も立つ女はどこに行ったのか。どこに隠れているのだろう。トップはどうして女を前面に立てないのだろう。何から何まで嚙み合わないことばかりに手をまわして逆に裏目に出る。状況をみるに教会はことごとく神霊が失われたとしか思えない。もはや教会にジャンヌダルクは出てこないのだろうか。
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