2026年4月14日火曜日

今日の想い 1464

 世間は御父母様のことを教会員を洗脳した悪魔のように思っている。先輩食口の中にも御父母様を、神の摂理に応えられなかった、言葉と行動が相容れない、御家庭は教条に反するものばかり等々と、悪魔とは言わないまでも随分な言い分でもって、人生の大半を摂理に差し出してきた恨みを吐露している。それは先輩祝福家庭にも多く見られ、教会解散にも敢えて口を挟まず関係がなかったかのように黙っている。一部の二世達がどれほど前に立って闘う意志を見せようとも、我関せずの立場で同調することはない。私にはそうみえる。それは御父母様と教会への不信からそうなのだろうか。であればアボジが8割方が離れていくと言われたその言葉が成就したといえるのだろうか。そういう私自身も教会という組織、教会という形にこだわる期間は、後天時代以降終わっていると思っているので敢えて口は出さない。しかし教会や御父母様への不信から声を出さない訳ではなく、教会摂理は現教会が国の圧力で解散されてもしなくても変革し前進すべきだし、御父母様に対する認識を人間的なものから神霊的なものに上げていく必要があるからだ。私は先天時代の教会と献身して捧げてきた歩みが無駄だったとは思わない。堕落人間に口なし、カラスが白と言われれば白と言われる尋常ではない教会空気の中で、信仰の何たるかを知り、信仰は強度を増し、日本の摂理も世界摂理も進んできたと思っている。アボジが遺言として残された天聖経を始めとするみ言葉は道徳教本ではない。よってそこかしこを切り取って人間的判断でおかしいと言えるようなものではない。訓読しながら言葉の背後の神の心情を訪ねて受け取るみ言葉だ。私達も部分部分を切り取られてMCされたと人間的判断で裁きを受けているが、それも致し方なし、祝福家庭であっても人間だからだ。それに神霊に繋がった私達の霊的本質を一般の人間には理解できない。しかし私達が強く認識すべきことは御父母様によって神霊とも授受できる霊的柱を戴いたことだ。天の血統圏に繋がれたといってもいい。であるにもかかわらず、御父母様や御家庭を道義的に批判はしても人間的判断一辺倒で断罪する食口は、御父母様から受けた祝福を蔑ろにしており天の霊的血統圏から外れていると思っている。

2026年4月12日日曜日

今日の想い 1463

これまでは戦火というように戦争は相手方を火の海で焼き尽くして降参させていたが、今はそれが通じない。何億ドルもするミサイルを数万ドルのドローンで破壊するという実に効率の良い(悪い)対戦で、アメリカにすれば阿保らしくてやってられないのが本音だろう。しかしアメリカには通貨(ドル)覇権という大命題がある。今の文明は化石燃料でなり立っている。だからオイルの流通をドル以外で遣り取りされればドル覇権は終わり、莫大な通貨負債を抱え込むアメリカは終わる。だから阿保らしい戦争であっても始めざるを得なかった。初めては見たもののトランプのカードの切り方が悪すぎた。彼自身の判断というより焚きつける者と抑える者の間の力関係がそうさせたのだろう。トランプは大統領令というカードによってイラン攻撃に踏み切ったもののイランは大国だ。それなりの頭脳も戦略も更にアメリカにはないジハード思想がある。当然のこと化石燃料放出のバルブであるホルムズ海峡が使えなくなった。トランプは、アメリカは自国産出のオイルで充分間に合うので米経済に支障はないかのような言い方をしているが、大動脈を寸断しておいてアメリカがそれに寸時で変えられる大動脈を施設できるはずもない。インフレで米市民がどれだけ苦しいかを見ればわかるように、オイルは産出できても日常製品は産出できない国なのでオイル価格上昇の煽りを喰う輸入に頼っていて生活は苦しい。もはや国は世界の国々と手を結ばなければ立ち行かなくなっている。TACOる(尻込みする)とは言い得て妙で、トランプはタコのように自分の足元を知らないうちに喰って自国に支障をもたらした。アメリカのやらかしでこれから世界は燃料が足りない生活状況に突入していく。日本にはすぐにも連日猛暑の夏が襲ってくる。インフレは更に激しさを増し物流は滞る。そしてドル覇権世界は終わりを迎える。

2026年4月2日木曜日

今日の想い 1462

 花が咲いて、そして散る。形が為されて、そして壊される。人が生まれて、そして逝く。逝く人を見送る人も、また逝く人。それは千年も万年も無数に繰り返されてきたことであり、今もそして未来永劫繰り返される。かつては生まれて逝くその狭間でそれらの意味を問うても答えはなかった。だから意味を問うこと自体むなしく、意味を問えば問うほどに迷宮に入り込んで心を病む。心を病むのは霊達の孤独と根無し草による不安からくる。私はどうにも悩みすぎて心を病んだことがある。この世には悩む人と悩まない人がいる。悩まない人は今生が天の意識圏外にある者、すなわち終末に至らず悪く言うと霊も素通りする見捨てられたアブク存在に過ぎない。私は心を病むほどに悩んだけれども、奇跡的にも原理に出会い御父母様にまみえて深い絶望的悩みから解放された。私達は歴史の狭間で生きてきた数多の人間達が得られなかった答えを手にしている。そう、人類歴史を通して夥しい生死を繰り返しながら求めても求めても得られなかった、その答えとしての真理を手にしている。二世達にこの霊的歓喜がわかるだろうか。散る意味がわかり、壊される意味がわかり、逝く意味がわかる。そうなると地上を去りたくないというのは生きる欲としての執着でしかない。教会も解散されたのであれば、もはや潔く、新たに願われる摂理に目を向けるべきだろう。この期に及んで更なる解散に対する反旗を翻したところで、私は逆に摂理に反することになりはしないかと危惧する。解散命令がどれほど違法で教会存続がどれほど正しいかを今の時点で叫んでも世間は聞く耳を持たないし、それを訴えたいのであればこれからの私達の行動で認めてもらうしかない。神様は私を捨てないという確信があるなら敢えて教会にしがみ付く必要はない。摂理は次なるステージに展開され、私なのか組織体としての私達であるべきなのかは別途考えるとして新たな摂理に応えていくことに全集中すべきだ。