2007年12月14日金曜日
富に対する認識
富に対する認識を間違えている兄弟が多い。清貧を持ってよしとする意識は決して悪いとは言えないが、それは自分に対して戒める意識、謙虚さから出るものであり、他人を外側から見て贅沢だのケチだのと思うのは別の所から出ている。人は自分でマネージできる以上の富を持つことは出来ない。家計に於いてどれくらいのボリュームをやり繰りしているか、あるいは事業を営んでいる人であれば規模としてどの程度なのかが自分がマネージできる量を意味する。マネージできる量は人の大きさによる。意識の大きさ心の大きさも人の大きさではあるが財に関して言えば欲望(願い)の大きさがより関わってくる。欲の大きさも人の大きさである。しかし欲の大きさが直接マネージできる大きさに関わるわけではない。宇宙の法則から言って富が向こうから一方的にやってくるということは無い。たとえ懐に入ってきたとしても懐をすり抜けて出て行く。先ず願い(欲)がありそれが器となり入ってきたものでもってより価値のあるものを生み出す時マネージの力量は大きくなる。それに応じて富は増える。兄弟の生活状況がよくない、金回りが悪いというのは本当の意味での願望に至っていない。マネージという授受の法則の理解に欠けている。そしてより良くなることを諦めて今の現状に安住している場合が多い。献金だ献金だと言われても自分の力量以上は出せない。入るものが少ないから出せないのではなくマネージ出来る自分の力量が不足しているから出せない、と認識する必要がある。他人の懐を詮索したり自分の懐を嘆いたりするのはその認識がなく、金など降って湧くものぐらいしか思っていない。そこに当然入るべきものとして自然の法則に従い入ってくる。希望を持たない人、夢の無い人は富とは無縁だ。普通の労働で生活費を手にするのが精一杯だ。
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