2015年6月16日火曜日

今日の想い 857

霊と魂を混同していることについてはここでも何度も触れているが、訓読会で御父様がその注意を促したのは混同し易いからという御話ではなく、現に混同しているから注意された。人間は霊と肉の存在であるけれども、それは横的な関係ではなく縦的な関係として一体であり、霊と肉を分けて見ることはしない。普通人間に対しての存在認識は霊だけを見ているのでもなく肉だけを見ているのでもなく、霊肉一体圏で培われている心魂を見ている。現代の人間は霊的無知で霊的感性が備わっていないので、御父様が霊的な御話をされても魂の話として捉えてしまう。人間の堕落には霊の堕落と肉の堕落があるが、ルーシェルとエバの間の霊的堕落の話も心魂の堕落と捉えてしまう。私達が肉の堕落を犯さないまでも既に堕落人間であるのは、心魂様相に堕落性が見られることから認識できるのであり、しかしそれは結果であって原因は認識できない霊にある。霊的無知であるということを忘れて、さも霊的にわかっているように、重生して産んで戴いた父母をこの口が否定するなら、私の全体がこの口を否定するだろう。自分は祝福を受けて重生しているという恐ろしいほどの事実をわかっていない。私の全体が口を否定すれば唖になる。確かに食口の現実は御母様に従っていくのか、或いは袂が分かれた御子女様につくのか、はたまた信仰を捨てるのかという判断を迫られているところまで来ているように見受けられるが、霊的無知なのに霊的な重要要件に対して判断も何もあったものではない。自分の自由判断で従っているように思っているのだろうが、実はそう判断させる背後の霊界があり、判断したのは結果であり判断に至らせる原因は自分の相対圏にある霊界にある。そうなると彼等を説得すること自体何の意味があるのかということにもなるが、その通りで説得する必要はない。ただ、彼等は間違っているということを私の中ではっきりさせておき、彼等にもそれを告げれば、説得する必要も原理的に説明する必要もない。彼等は相対圏にある霊界の指示に従っているから彼等のスタンスを取っている。それはある意味仕方のないことだ。アダムが失敗してアベルとカインに分立せざるを得なかったように、今までの摂理路程で願いに応えられなかったが故に教会も失敗した体制そのままを継承すれば善悪混同になってしまう。一度アベルカインに分けられて新たな一体圏を模索するしかないからこうなっている。はっきり言えることは、彼等は未だわからない霊的見地に立つことを捨てて、すなわち真の父母の勝利圏への信仰を捨てて、現段階で見通せる心魂のステージを最上階としてその位置から眺めて判断を下してしまった。御母様は失敗したと言うなら、仮にも食口の端くれで御父母様と一つになるべく共に歩んできたその責任を感じて、勝利的御母様に立てて差し上げる為にも御母様に背を向けるべきではないだろう。彼等は霊と魂を混同している。

0 件のコメント: