2015年6月7日日曜日

今日の想い 856

おそらく私だけではない、全ての食口が常に意識させられるであろう活動や営みの言葉として、絶対信仰絶対愛絶対服従がある。訓読をミスっても、教会から少し遠のいても、どういう状況であっても想起させられ意識せざるを得ないのが絶対信仰絶対愛絶対服従だ。想起させられると共に、人間が知情意の活動を為す魂の存在であるのと比べ、真の父母から発生した天の血統人間は絶対信仰絶対愛絶対服従の活動を為す天の根を持つ魂の存在であると認識できる。私は本当に生まれ変わって真の父母に繋がっているという実感は、絶対信仰絶対愛絶対服従と共にある。祝福を受けた者達が付いて行けずに離れようとも、それでも御父母様の存在が内面から消え失せないのは、御父母様の情的面に相対している絶対愛という魂の活動として、真の父母の根に繋がれて生きて働いているからだ。ということは、食口は離れようとしても本当は離れられない。通常の知情意に代わる新しい知情意の魂の在り様が、繋がれた真の愛の根によって少なからず備えられてしまっている。それが新しい知としての絶対信仰であり、新しい情としての絶対愛であり、新しい意としての絶対服従だ。この新しい知情意によって、生まれ変わった他体自覚の自分を認識する。その認識は明らかに堕落の血統とは異なっている。人間の知の活動は時代と共に変遷してきた。しかし今の科学一辺倒や論理思考の知の在り様は、人類歴史の僅かの一時期でしかない。現代の知の在り様こそが最も優れていると信じて疑わないから霊的には更に不通になり、霊的無知なる存在として一層個体化個別化して自体自覚の枷から抜け出られないようになる。悪魔アフリマンは科学的論理的知の在り様に拍車をかけることで人類を神から遠ざけようとしている。食口ですらアフリマンの計略である知の誘惑に乗せられている。絶対信仰で見通すべきものをこの世の知でもって否定的に捉えようとしている。御子女様に対しても、御母様に対してもそうであり、そうなるとそのうち御父様に対してまでも、復帰の過程の事実が明るみにされてしまうと道義的知の剣の鋭さで切っていくようになる。人間の知の在り様が絶対信仰によって変えられていく。人間の情の在り様が絶対愛によって変えられ、意の在り様が絶対服従によって変えられていく。御父様と一体圏にあられた御母様を否定する者は絶対信仰を蔑ろにする者であり、祝福の血統も所詮堕落の血統から逃れられないことを肯定せざるを得ず、霊的血統を否定して肉体的血統を至上としてしまう。御母様が地上におられるにも拘わらず御子女様にのみ繋がろうとするのは、本人が気付く気付かないに拘わらずそう言うことだ。疑問があるなら尋ね続けるべきだ。

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