2015年11月17日火曜日

今日の想い 892

今の時代圏は全く新しい時代圏であることを認識しなければ、先天時代の蕩減時代と同じような感覚で起こることを見ている(観察している)と、摂理の本流からは距離を置いてしまいかねない。サタンがサタンになってしまったのは人類始祖アダムとエバが真の父母として立たなかったからであり、本来絶対悪、絶対善なるものは先天時代で培ってきた通常の私達の善悪観では測れないものだ。神様は絶対信仰、絶対愛、絶対服従で創造してこられたが、アダムとエバが堕落し、真の父母が立たなかった時点で人類は絶対という概念を失っている。絶対という概念を失えば、唯一、不変、永遠という概念も失っている。地上に真の父母が立たなければその概念を取り戻すことはできず、堕落人間の捉えている絶対は中身の無い輪郭だけの絶対に過ぎない。御父母様が勝利されることで絶対概念は取り戻されたが、私達がその勝利された概念を相続しているかどうかは別問題で、先天時代と御父母様が開いて下さった後天時代の明らかな違いを認識できないうちは、中身の無い先天時代の概念、それは概念と言うべきではなく観念に留まるものだが、先天時代と同じようにそれによって物事の判断をし選択をしている。今の混乱を混乱と見るのではなく、新しい時代圏に相応するように打ち直されていると見るべきだ。本流と袂を分かった分派も、本流がより強固な本流となる為に、敢えて天使界の役事をして相反する立場に立たせることで本流を打ち直している。本流が本流として天一国の為の環境創造を推進するほどに打ち直されれば、反対派もその鉄槌の役目を終えて帰ってくるはずだ。がしかし、直ぐにでも帰ってこれるほどに甘くは無いだろう。本流が、打ち直されているという身の痛みを覚えるほどになって、本流の中に隠れていた真の父母の血統圏の本質が滲み出るようになって初めて反対派はその任務を終える。口先でどっちが善いの悪いのと言っているうちは未だその任務の入り口に立っているに過ぎない。これから益々翻弄され、最終的には相当量の食口達が反本流に立つやも知れない。本流に最後まで残ろうとすれば、氏族メシヤとしての使命を完遂することだと悟り専念してこそ残り得る。しかしよく考えれば、私は本流にいるけれども本流の本流かと問われれば目を逸らさざるを得ないだろう。ほとんどが何だかんだと言い訳しながらできないこと、やらないことに留まっている。本流にはいるけれども反対派予備軍に入っている。反面教師としての役目に落とされようとしているのが私を含めた殆どの食口であるという現状を見なければならない。もしアダムが堕落しなかったら、誘惑するエバはアダムを真のアダムとして鍛え直した立場であり、もしエバが堕落しなかったら、誘惑する天使長はエバを真のエバとして鍛え直した立場に立っていたはずだ。

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