2015年11月10日火曜日
今日の想い 891 ( 原罪について )
確かに講論には、「原罪は人類始祖が犯した霊的堕落と肉的堕落による血統的な罪」とあるが、原罪という血統的な罪を霊的堕落と肉的堕落の「両方」の罪を指して呼ぶ概念、と捉えると、恰も霊的堕落の罪も血統的であり肉的堕落の罪も血統的なものと受け取る者も出てくるかも知れない。私は霊的堕落と称する原罪の原因的堕落事件があり、肉的堕落と称する原罪の結果的堕落事件があって初めて原罪という血統的なものになったと受け取っているがどうだろうか。エバ個人だけに関して言うと、霊的堕落を肉体とは関係のない堕落だと捉えれば、もしアダムを誘惑しなかったら霊的堕落はしたけれども肉的堕落はしなかったというふうに言えるだろうか。肉体から霊人体を分離させて霊界で天使長と関係を持っただけだと言えるだろうか。エバ個人に関して言えば、エバは地上の性的交渉をアダム以外と持ち、それが人類の霊的堕落となり、そしてアダムとも持って、それが人類の肉的堕落となったと私は理解している。それは両方とも肉的堕落だと捉えるかも知れないが、人類にとってはエバの行動結果が霊的堕落となり、アダムを巻き込んでの行動結果が肉的堕落となったという認識だ。だから原罪という血統的なものとなった。霊的堕落と肉的堕落の共通点を見るなら、両方とも性によるものであるということは堕落論の堕落の経路からわかる。しかし地上で繋がれることが天でも繋がれるのであれば地上で堕落すれば天でも堕落するのであり、天で堕落してそれから地上で堕落したという言い方自体天と地を異なる世界だけれども同じ次元と捉えていることになる。天という概念、霊界という概念を正しく捉えないと堕落論は深入りすればするほど迷宮に入っていく。霊的に不倫を犯しているが地上で不倫は犯していない、或いは地上で不倫は犯しているが霊的には不倫していない、、等という言い方ができるとは思ってもいないし、そんな人物は一人もいないだろう。だから堕落論を紐解くには余程の注意が必要になる。霊的堕落は霊界に限って起きたエバが肉体から霊人体を分離しての事件ではなく、天使長がまとう実体存在、それが御父様が言われたようにアダムの従兄弟、或いはアダムの叔父なのかも知れないが、そういう地上存在が必ずいたはずであり、エバはそれと性的に交渉を持った。この事実の検証は今のところそれぞれが思うところに任せるしかなく、それは摂理観と信仰観に差ほど影響を及ぼすことは無いのかも知れないが、ここで本当に触れておきたいことは御母様の独生女発言に関する認識だ。真の父母様宣布文サイトに上げられている説明では御母様は肉的堕落以前に立っておられるとし、その前提として原罪を霊的堕落の罪と肉的堕落の罪という二つの罪と捉えてその上での説明となっている。それは御母様の発言を原理によって論理的に説明しようとしているのはわかるが、論理で理解できないということであるなら御母様の発言を待たずとも八定式頃からの訓読会の御父様のみ言葉は我々の論理を既に超えている。私達の頭では理解できないその辺りからのみ言葉の一つ一つを納得できる論理的説明で積み上げてきて、御母様の発言もその流れで原理的な論理を差し出すならいいのだろうが、どうも唐突なこの説明には無理があるように思える。御父母様一体圏にあられる御母様の言葉です、と断定して済ませることだと私は思うのだがそれではまずいのだろうか。天と地の概念、堕落論の理解、原罪が血統的なものになった経緯、それらを正しく積み上げていってこそ神様のひとり娘、独生女も原理的論理性に立たせることができるが、それは先に任せて今は御父母様一体圏を受け入れれば当然受け入れられることと理解すればそれで事足りる。私達が地上存在である以上霊と肉は分離できない。原因のない結果はないのであり、地上は全て結果世界であり結果の一つ一つに必ず原因があり、霊と肉は存在の裏表になっている。よって結果的肉的堕落は原因的霊的堕落なしには有り得ないし逆も言える。そして善悪の実がエバの生殖器であれば次元の違う霊的存在である天使長は地上存在を通して原因的に関わることでしか善悪の実を食べることはできない。事実そうやって善悪の実を食べることで、人類を偽りの愛で主管し、天宙を主管してしまった。しかし御父母様が勝利されることで神様は御父様の体をまとい、そして御結婚された。御母様という地上に於ける神様のひとり娘は天上に於いては神様の相対だ。この事実の説明が現時点に於いては只の説明で、実感を得て理解している者がいるかどうかはわからない。しかし近い未来に当然の事として実感として受け取れるその時の私が本当の私だと認識し、その私に向かって正しく認識の道筋を取っていく私になる。
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