2016年4月19日火曜日

今日の想い 917

もし霊界のことを考えなくて良ければ、人間は地上的幸福を謳歌できるだろうか。科学技術、医療技術が最高度に進化し、人間的愛でお互いを思い遣り、一通りの許される欲望を満たして人生を送り、そうして苦痛や不安を伴わない死、永遠の無に帰っていく。科学によって説明できるものを真実とし、宗教的なもの、五感で感じ取れないものは非科学的だと一蹴する者達の幸せはおそらくそんなところだろう。でもみ言葉を受け入れた食口であっても同じ次元に立つ者も少なくない。人間のそういった既存の幸福観が地震による建物崩壊とともに崩れている。今人間の魂は人類全般に及んで試練を受けている。人類の中でも日本の使命は大きく、日本人として特にその試練は大きなものだ。天災という人間の能力進化の追い付けない、相手にするにはあまりにも無力に等しいその自然威力を前にして、この世の人間は試練を受けている。天災は誰であろうとも避けられないものであり、それを前にして無力感、絶望感に苛まれ、人間がどれほどちっぽけな存在かを思い知らされる。良き行いを心がけていれば避けられるものでもないし、神様を信じて信仰を強く持てば避けられるというものでもない。人間はこういう時にこそ精神存在であることに気付かされる。生き延びる事に執着する凝り固まった魂が、生命が危険にさらされて嫌でも解放される。科学万能を信じた者は無力さから謙虚さを学び、信仰を持つ者は自然への畏れから犠牲の意味を学ぶ。悪人は悔い改めることを体験するだろうし善人は善の本当の意味を改めて問いかける。それらは次元は違えども自分という人間が精神存在として、精神進化に向き合っている。その意味では天災は人類を善へと志向させる。しかし天災それ自体に神様の意志が働いているとは思えない。そこに神様の意志があって為されるなら神様は裁きの神様となる。人間は堕落しているけれども自然は堕落していない。人間は自由意志で堕落したけれども自然は堕落する自由意志を有していない。しかし自然はある意味、霊界と地上界の精神存在達によるせめぎ合いの過程に応じた相対環境として実体化している。人間の活動は地球の表面で行われているので地球の表面部分と限られた大気圏の事しか知らない。地球の内面がどうなっているのか本当のところ誰も知らない。関わる必要性を覚えないからだ。実は地球の核から地表までのあらゆる層に、人間という精神存在が立つまでのあらゆる精神存在達の歴史が刻まれている。いや今も生きて彼等の活動領域になっている。彼等を地底存在と表現できるのかもしれない。天災の発生した場所は過去の精神存在の活動環境の表出と、地表に於ける人間の活動環境との接点であり歪部分だ。両者の相克の地上的表現が天災であり、両者の相克から受け入れと統一を見るとき新たな精神が立つ。御父様は海底生活や宇宙生活が近い未来に於いて為されることを話されたことがある。その時は随分突拍子もない話だと気にも留めなかったが、宇宙生活は別にしても海底生活はもし可能であるなら過去の精神存在や今の人間の認識の及ばない環境であることは確かだ。レムリア大陸が沈んでアトランティス大陸が浮上し、アトランティス大陸が沈んで現在の新しい大陸が浮上した。海面の上昇を言うけれどもそれは陸地に立って言えることで、海面に立てば陸地が沈んでいることになる。御父様の予言書にはヒマラヤの話やハワイの山が最後に残る話をされている。それがどの程度の将来的出来事なのかわからないが、そうなって海底生活が余儀ないものとされるには、地上生活が限定的だという事情があり、人間の技術や文化がそれに応えるものであるべきで、今の地上文化である自己中心的有り様のままでは難しいだろう。ある文化の成り立ちは過去の文化の土台の上に建てられたものではなく、過去の文化の破壊によって新しく築かれてきた。だから文化の中心は起こる毎に移動してきた。今環太平洋時代に入っている。中心摂理は海洋摂理であり海を支配する者達の覇権が闊歩し文化が起こる。彼等は執着心を超え自己中心主義を超えた者達だ。王権を即位された天の父母様の息がかかった者達だ。現在から未来を見届けようとすれば無理があるが、未来のイメージが確かなものであればあるほど逆算することで現在の置かれている意味と次なる段階が見えてくる。阪神大震災から東北大震災と津波、そうして今回の熊本地震、人類の代表である日本に新しい精神が立つまで崩壊と洗濯は続く。犠牲を供えた魂が加算され続け、彼等の想いである精神革命への拍車も加算され続ける。

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