2016年6月25日土曜日

今日の想い 925

世界復帰、天宙復帰は私達が想像していたほど簡単ではないし単純でもない。複雑に入り組んだこの世界であるなら復帰も複雑を極めて当然だろう。絡みに絡んだ世界という糸を解きほぐすようなもので、それは今すぐにでも諦めて投げ出したい衝動に駆られるほどだ。世界がますます混乱を極めていく中で、統一食口社会だけが理想を絵に描いたように一つになって地上天国を築いていくというのはもはや妄想に近い。食口誰もが認めるように私達も御父母様を中心として決して一枚岩ではない。私達が世界の代表ならこの世界の問題とは無縁であるどころか、世界の問題が集約されて現れて当然だ。私達の問題が世界に反映されるのか、世界の問題が私達に反映されるのか、そこは何とも言えないが、問題解決は内的霊的に主導権を握る私達にあることはその通りだ。私達の中に共産主義の問題があり(イスラム)原理主義の問題がある。冷戦時代は共産主義社会と自由主義社会がはっきりと線を引かれていたが、今の中国に見るように共産主義社会でありながら資本を投入していて、しかし自由社会ではない。逆も言えて自由主義社会でありながら政府は益々大きくなって働かざる者まで利益分配や社会保障を充実させ共産主義体制に近いほどだ。共産主義はなくなったのではない。その思想、思考は個の段階にまで浸透されている。食口だって同じように浸透されている。はっきりと線を引かれ壁があったものが、その壁を取っ払ってしまって混乱状態にある。御父様があらゆる壁を取っ払ったと言われる現実投射が今の混乱世界であり統一食口社会なのだろう。そこで全てが分裂して世界は崩壊するのか、はたまた統一糾合できる中心が現れて一つになれるのか。前にも述べたように一つになるということは一つにまとめて頂点に君臨する者が采配権を持つこととは異なる。御父母様はグループ派やサンクチュアリに対して私達が認識している分派という感覚で見ておられるのだろうか。親なる真の父母であられるなら、何らかの喰い違いで離れて距離を置いてしまった子供に対する親のように、その同じ胸をかきむしるような感情を持っておられるはずだ。その親の気持ち故に、たとえ距離を置いていたとしても、家族は一つである家族なのだろう。組織を維持する場合、組織の中心が組織という家庭の家族一人一人に親の想いがあるならその組織は一つだろう。しかし中心者が采配権を持つ君臨する頂点であるなら親ではなく独裁者だ。私達は家族を取り戻さなければならない。それは家族だけが家族ではなく、会社も家族であり国も家族だ。会社には会社の父母がいて従業員は兄弟姉妹だという認識を持つべきだ。国には国の父母がいて国民は、家庭は、会社はお互い兄弟姉妹だという認識を持つべきだ。この世界の関係性の中に父母の愛、子女の愛、兄弟の愛が中心的に関与するようになると世界は確実に一つになっていく。私達は要求するのではなく真の愛を相続した者として示して行動して証さなければならない。摂理的歩みをしているけれど、それは愛なのか、或いは共産主義に見るように独善的な押し付けや無理矢理の型はめなのか、よく考えてみるべきだ。投げ出したい衝動に駆られるときは、おそらく独善的に押し付けようとしている。そこには真の愛は関与しない。

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