2016年6月30日木曜日

朝焼けの虹

朝焼けの虹を見た。安侍日の敬拝を供えると、5時半を過ぎて店に向かった。ショッピングセンターに着いて車から降り、明けてきた空を見渡したまま動きが止まった。西の空を中心に一面焼けていた。明けるにしたがい焼けた黒いピンクは生気を帯びて広がっていった。晴れやかな夕焼けとは異なり朝焼けはどうも重たい気分を誘う。暮れていく夕焼けより明け始める朝焼けがそうさせるのは雨になるからだろうか。どんよりした一日を予測させるからだろうか。店内をしっかり明るくさせてオープンしているコーヒーショップに立ち寄り、買い求めたコーヒーを手に外に出てみると、顔を上げた目に鮮やかな虹の端が飛び込んできた。上方に辿っていくと太い虹が大きく弧を描いて空に架けられている。これほどの大きな虹はかつて見たことがなかった。雨上がりの虹は明るく希望を思い起こさせるけれども、朝焼けに架かるこの大きな虹は虹へのイメージを崩して不安を誘う。確かに私は戸惑っている。虹を目にすることで希望の感情を胸の内に充満させたいけれども、明らかに希望とは異なる感情が暗雲のように広がっている。こんな気分に主管されるべきではないと我に返りその場を離れたけれども、その時の気分をどう理解していいのかいまだに探っている。いつも透析のある時は朝の暗いうちから透析センターに妻を送っている。その途中に高台へ差し掛かる道がある。そこから東の空が大きく望め、夏場は明ける様子が伺える。曇りの日の重暗い朝焼けも夕焼けのように妻は綺麗だと言うが私は恐ろしい気分に誘われる。それを告げると妻は人によって違うんだと窓よりに身を傾けてしまう。お互いの間に一瞬疎外感の空気が漂う。あの朝焼けの虹を一緒に見なくてよかったと思った。妻と私は一体だ。お互いの感性が異なっていても一体だ。それでもあの虹は一体を崩す何かが組み込まれていたと思えてしょうがない。私の人生の中で目にすべきではなかったと思える事柄がいくつかある。原爆の日に見た重くて濃い青空、田舎で朝粥が続いた時のからの米櫃、そしてこの朝焼けの虹、、。

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