2016年10月14日金曜日

今日の想い 936(良神を立てて戦う)

心と体の戦い、という私の認識は、原理を学び自分の正体がわかり始めてから始まっている。勿論神霊とサタンとの戦いは始祖以降人間社会を舞台に繰り広げられてはきたが、人間個々に於ける心と体の戦い、魂の戦いは事実上食口になってからだろう。食口になったとは戦いの認識を持ったということだ。この世の人と私達食口の大きな違いはこの戦いの認識を持っているかいないかだ。祝福を戴いて御父母様の子女であることの意味はこの戦いの認識にある。食口にとって生きることは幸福の追求というより戦いに明け暮れる日々であって、もはや戦いから逃れることはできない。「善き戦いを為し終えて」とあるように善なる戦いであり戦いを為し終えるのは地上を去る時だ。たとえ信仰を捨てるとしてもそれでも戦いは続いていく。信仰を捨てて楽になるつもりが戦いは激しさを増していく。一度は御父母様を受け入れた自分をどうにも否定できないからだ。御父様が聖和されて、全食口はある意味それまでの信仰を卒業している。先天の信仰と後天の信仰はそのまま同じものとして続いているようだが既に卒業している。先天的信仰を保持しようとすればするほど戦いは複雑になる。食口にとって御父様がメシヤであるのは既に信仰による認識ではなく実体としての認識だ。しかし御母様が生まれながらに罪のない神の一人娘だという事に関しては新たな信仰を要求される。文字通りを信仰ではなく実体として認識するとなれば御母様の出自は御父様からということになってしまう。混乱を起こすその宣言を敢えてされた理由は二つしかない。私達に対して全く新たな信仰を願われているか、或いは、やがては公になる驚天事実を神側の先手として宣言されたかの二つだ。御父様が話されたマリヤのイエス様懐胎の新事実が、もしサタン側からなされていたら、復帰摂理はさらに延長され人類は多大な犠牲を強いられていただろう。しかし知ってか知らずかサタンは懐胎の秘密に触れることはなく御父様が先手を取られた。そのように御母様も先手を取られての発言ということもありうる。御母様は神様を天の御父様ではなく天の父母様とされ、家庭盟誓を書き換えられ、天一国の国歌も変えられ、み言葉集も新たに編纂された。それらが為されたのは新たな信仰の要求でありその流れで独生女宣言もされた。しかし私は御母様が権威を望んでそのようにしておられるとはどうしても思えない。そんな風を装われながら天と御父様、さらには人類の救いに対する責任心情を動機とされ、その行動には御母様の深い知恵が隠れているように思える。私達は霊的平衡感覚を失う渦の真只中だ。戦いはいつも厳しいものだが、それでも今までの戦う相手は明白で単純だった。しかし今の戦いは顔が見えない。見えないどころか新しく確立すべき信仰がどういうものかもわからない。だから戦う基準すら定かでない。それ故に御母様の発言や指示に対して違和感を覚えてしまう。善き戦いをすべきで悪しき戦いは消耗戦だということはわかる。しかし戦い続けて基元節を超えるには超えたが、今は善悪が入り乱れる状況で霊的な流れは渦状態にある。今まで以上に良神をしっかり立てなければ、渦に巻き込まれたまま私の信仰生命を失いかねない。創造は混沌から始まった。この混沌が昼の神様による新生宇宙、新生地球、そして新生私の創造の初めだろうか。夜の神様としての御父様を中心とした摂理から昼の神様としての御母様の摂理の出発だろうか。

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