2017年5月30日火曜日

今日の想い 947 ( 韓国人と日本人 )

妻はいくらか興奮気味に韓国の問題を私に言う。普通の日本人なら誰もが感じていると思われる韓国の日本に対する言いがかり、慰安婦問題であったり日帝時代の圧政によるある事ない事であったりなのだが、そこに留まらず韓国人に対する歪んだ感情まで膨らまして口を尖らせるものだから落ち着かせるのに一苦労だ。どんなにあれが悪いこれが悪いと負の感情を募らせても何の解決にもならない。ますます韓国との溝を深めてしまう。日本人は日本の土壌と歴史の中で日本人的気質を備えている。韓国人は韓国の土壌と歴史の中で韓国人的気質を備えている。だから日本人的気質による良し悪しで韓国を評論してもそれに対して韓国人は納得しないし、その逆もその通りで韓国人的気質による良し悪しの判断で日本を評論しても日本人は納得しない。要するに気質という血に浸み込んだ魂の表象だから、魂という知情意のステージに留まる以上お互いの言い分がすれ違ったまま一つになることはない。魂から霊のステージに上ってこそ解決の道は見出せる。霊的無知、霊の認識のない者は人種間、民族間の問題は解決できない。心情主義に立つということが極めて重要になる。韓国人の御父様は他の韓国人と同じように日本を責められる。しかし韓国人を超えた御父様、心情主義に立たれる御父様を私達は認識している。だから御父様に従ったのであり韓国人の御父様としての言動に対しては、日本人として「御父様はそう言われますけど、、」と思って当然だろう。日本人妻達が日本の代表として韓国で慰安婦への謝罪、韓国に対する日本の無礼の謝罪をするのは私としては戴けない。ただ韓国人の日本に対する恨の想いの強さと、日本人の韓国へ投資投入した想いの強さを比較したら圧倒的に韓国に軍配が上がる。正しいとか正しくないとかじゃなくその感情の強さは天の心情を動かすに足る。悲惨な韓国を国として立たせる程に、これほどに投入し愛したのにという想いが一方を勝るなら、歴史は別のベクトルへと動いていたかも知れない。韓国人はよく祈る。店でも食事を前にして長々と祈祷する韓国人をよく見かける。それも涙まで流して祈っている。日本人はその感覚がわからない。たかがランチ、それも飽食の国アメリカでそれ程に想いを込める感覚がわからない。そう、彼等は言葉に想いを込めている。韓国人の従業員は私にすれば些細な事を、滔々とまくし立ててどれ程心が傷付いたかを訴える。彼にしても最初は他愛もない疑問を、言葉を並べるうちに全魂を投入し始める。それがそのまま心情文化だとは思わないが、何かにつけ熱いのが韓国人であり韓国語にも表れている。正しい者が勝つと思っているけれども、正しいか否かは歴史が決めるのであって、正しいと思えるものより恨の強いもの、想いの強いものが勝つ。

2017年5月22日月曜日

今日の想い 946

信じるということとイメージするということは対になっているけれども、信じるのではなく霊界を実感しながら、そしてイメージではなく霊界( 心情 )生活するということが重要だ。霊界が心情世界であるのは食口誰もが知っていながら、心情ではなくイメージで霊界認識をしようとしているところに問題がある。イメージを膨らました霊界ではなく心情を追求してこそ霊的に生きる。 おそらく天国は楽しくて面白く、地獄は苦しくて辛いという実に単純なイメージとして分けられ信じているようだけれども、そんなはずのないことはわかりきっている。では地上天国が完成すれば楽しくて面白いことだけで、苦しくて辛いことなどないのかという質問を浴びせられて窮することになる。楽しさや嬉しさは内的に受身で終えられるのに対して、苦しさや辛さは受身で終えるには耐えられない。何らかの努力や働きかけをせざるを得ない。しかしそれを通して愛の力の何かを知るようになる。楽しさや面白さだけの人生で愛の力の尊さを知り、愛を与える存在に対しての深い感謝の想いなど生まれようもない。堕落性本性は困難や責任から逃げようとする性稟であり愛の力とは真反対のサタンの力だ。苦しさや辛さを力に変えて愛する訓練を通して、楽しさや嬉しさを当然のように受けていたが受ける背後に苦しさや辛さをものともしない愛そうとする存在、与えたいという存在を知るようになる。愛する訓練を受けないものは感謝する想いなどわかない。常日頃感謝の言葉も口にし、感謝もしているように思っているけれでも、そんなのは本当の感謝ではない。どちらかといえば苦しさ辛さ、困難や責任から逃れることができたことへの安堵に近い。本当の感謝は愛の尊さを知った者しかできないのであり、愛の尊さを知るためには愛する訓練を受けなければならないのであり、愛の訓練を受ける覚悟は決して楽しさや面白さからは生まれない。苦しく辛い人生の只中で、愛する覚悟をするのかそれとも逃げるのか、逃げて天国にいこうとするけれども当然そこには愛はない。

2017年5月16日火曜日

今日の想い 945

揺れ動く中で暫定的世界はどこに向かうだろうか。アメリカが民主的世界制覇を否定したから世界の流れのベクトルは方向を変えていく。今世界は乱気流状態だ。民主と共産の二大勢力が台頭してきたが、民主国家群がアベル、共産国家群がカインだと単純には言えない状態になっている。個人の中の戦いとして心と体の戦いが続いてきたが、それでも心が主体であり体が対象であることが人格を備える個人の証だった。信仰を持つ者は特にそうで、自分なりのみ言葉の核が心の大きな部分として信仰主体の人格を備えてきた。しかしその心の中に疑いというバイラスが侵入している。ちょうどアメリカにアメリカファーストというバイラスが侵入したようにだ。その霊的バイラスは疑いを解こうとして問えば問うほど感染していく。そうして論理の底なし沼に落ち込んでいく。人間は魂の活動、すなわち知情意の活動を続ける存在だけれども、心情は知情意を超えたところにあり魂の主体として見いだせることを学んでこそ信仰生活を続けてきた意味がある。御父様がその存在を私達に教えたかったのは心情であり心情を捉えることが神様を捉えることで、神の血統も心情を相続した者が血統圏に繋がれた者として認められる。決して祝福を受けたという事実だけで繋がれる訳でも御父母様の親族に加わることでもない。もちろん祝福を受けることでその道筋が備えられるというのは確かにそうだが祝福=血統圏ではない。ではこの乱気流状態で主体対象がはっきりしておらず、善神の業なのか悪神なのかわからない状況でアップアップしている状態に神様はどう働いておられるのだろうか。受け取る心情とはどういう心情だろうか。今までその事を曖昧にしたまま、神様、すなわち心情の存在を御父母様や祈りの対象に置くという、それは私の中におられる神様を見出せず取り敢えず外に備えるという長生的な神様認識であり、後天時代 は完成的認識が必要であって長生的認識のままであろうとすれば時代にそぐわない。御父様が良心革命と言われ神様を良心の中に見出す、すなわち私の中に見出すこと、私が心情を備えることを教えて下さったことがどれほど大きな祝福だろうか。このように世界が揺れ動き、食口に於いては信仰の主体においていたものが揺れ動き、そうなると主体存在を私の中に見出した者、良心の中に見出した者は揺れ動かない。外的には揺れ動いているようでも動かない。主体を外に置いている者から見る御母様と、主体を内に見出した者が内から見る御母様とは全く異なる。それは霊的なる位相を捉えれられるかどうかということでもある。

2017年5月1日月曜日

今日の想い 944

揺れ動いている今だからこそ考えようによってはおもしろいし、私達が今こそ入り込める隙間が揺れ動く中にある。必ずある。アメリカと北が一触即発状態を演出している。北の揺れが大きいのかアメリカの揺れが大きいのか、北は北で脅しアメリカはアメリカで脅しながらそれぞれの暫定的国家信念を通そうとしているけれども、外面は大国アメリカだが、アメリカの民主主義なる信念は北を超えるほどの矛盾が露呈してきて相当に揺れ動いている。北の横暴が世界を振り回しているが、彼らの民主国家を超える強みというのは決して核ミサイルに代表される軍事力ではなくその一体化にある。たとえそれが恐怖政治によるものだとしてもだ。暫定的ではあってもアメリカの信念を凌駕する信念に支えられている。アメリカがアメリカファーストを声高に口にした時点でアメリカは完全に民主的世界制覇の信念を捨ててしまったが、北による信念は未だ生きている。いやその拳をさらに高々と上げている。しかしその一体化がどれほど余裕のない固体化したものでどれほどもろいかもまた確かだ。どれほど抑え込んでも自由を求める人間の本性は否定できず更に強くなる。もし衝突する事態になれば抑え込まれていた自由への衝動が爆発するときであり、民主世界が想像しているような金体制への怒りとして体制破壊に向かうのではなく、先ず核爆弾の爆発という彼らの自由渇望の恨みの爆発となって世界に降りかかる。核爆弾の成功は統治者の願いを超えて北の民衆の悲願であり、金体制がそれを捨て去る選択肢はそれ故にない。枷を外された北の民衆が難民となって押し寄せるという民主側の予測は、彼等の信念と積み重ねられた恨みを計算にいれた上での予測ではなく、内的に自由な者が外的な拘束から抜け出した行動しか視野に入れていない。彼等にとって中心軸は自分を超えて将軍でありおそらく私達食口以上に中心を慕い忠誠を誓っている。実は食口の献身による内的状態と北の民衆の内的状態は結構似ていて、献身制度がなくなっても生活に困窮したり自分の意見が持てなかったりと社会との結構な格差が生じ対等なるコミュニケーションが持てないでいるのは、内的な自由を預けることで自己責任という責任感情をも差し出したことに因っている。御父母様を否定することは私自身を否定することであるように、金王朝を否定することが彼ら自身の否定になる。しかし全ては揺れ動いている。北もその体制が歪を起こし揺れ始めている。もちろん食口も御母様の爆弾発言とそれを受け止める戦いによって揺れている。揺れて生じる隙間に何が入り込もうとしているのか、知恵ある者はそれを見通す。そして意志ある者はそこに入り込む。