2017年5月22日月曜日

今日の想い 946

信じるということとイメージするということは対になっているけれども、信じるのではなく霊界を実感しながら、そしてイメージではなく霊界( 心情 )生活するということが重要だ。霊界が心情世界であるのは食口誰もが知っていながら、心情ではなくイメージで霊界認識をしようとしているところに問題がある。イメージを膨らました霊界ではなく心情を追求してこそ霊的に生きる。 おそらく天国は楽しくて面白く、地獄は苦しくて辛いという実に単純なイメージとして分けられ信じているようだけれども、そんなはずのないことはわかりきっている。では地上天国が完成すれば楽しくて面白いことだけで、苦しくて辛いことなどないのかという質問を浴びせられて窮することになる。楽しさや嬉しさは内的に受身で終えられるのに対して、苦しさや辛さは受身で終えるには耐えられない。何らかの努力や働きかけをせざるを得ない。しかしそれを通して愛の力の何かを知るようになる。楽しさや面白さだけの人生で愛の力の尊さを知り、愛を与える存在に対しての深い感謝の想いなど生まれようもない。堕落性本性は困難や責任から逃げようとする性稟であり愛の力とは真反対のサタンの力だ。苦しさや辛さを力に変えて愛する訓練を通して、楽しさや嬉しさを当然のように受けていたが受ける背後に苦しさや辛さをものともしない愛そうとする存在、与えたいという存在を知るようになる。愛する訓練を受けないものは感謝する想いなどわかない。常日頃感謝の言葉も口にし、感謝もしているように思っているけれでも、そんなのは本当の感謝ではない。どちらかといえば苦しさ辛さ、困難や責任から逃れることができたことへの安堵に近い。本当の感謝は愛の尊さを知った者しかできないのであり、愛の尊さを知るためには愛する訓練を受けなければならないのであり、愛の訓練を受ける覚悟は決して楽しさや面白さからは生まれない。苦しく辛い人生の只中で、愛する覚悟をするのかそれとも逃げるのか、逃げて天国にいこうとするけれども当然そこには愛はない。

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