2017年12月4日月曜日

今日の想い 960

私は御母様に従いますと言いながら、先天時代の意識を惰性的に持ち続けているのであればそれは従ったことにはならない。御父様から御母様に、口にする名前を挿げ替えただけで何も変わってはいない。後天時代に入りながら目が覚めないまま同じ生活に没頭している。御母様、御母様と口にしながら絶対信仰しているような気分でいる。御父母様によって重生したなら、真の血統に繋がった霊的証しを立てて、祝福を受けていない他との明らかな位相の違いを自覚もし納得もさせなければ祝福を地に流したのと変わりはないだろう。自己満足的信仰で生涯を終えて本当に万万歳となるだろうか。実は希望は思いもかけない、いや私達からすれば顔をしかめるような者達からもたらされる。戦争が結果的には大きく近代文明をもたらしたように、破壊して御破算に願い出ることで新たな枠組み、新たな仕組みが組み立てられる。今の世界経済はオフショアに翻弄されている。国家間の貿易や為替はオフショアによって右往左往している。世界経済とオフショア金融がその位置を逆にし、国家枠を飛び出した税金逃れの思惑達が跋扈している。味を占めた思惑達は国を生かすでもなく殺すでもなく、オフショアという自由天地で思いのままだ。教会の世界復帰への道筋や復帰自体への認識が曖昧なままでも、それでも神の救援摂理は私達の認識の及ばないところで着実に準備され進められている。私達は一方で宗教世界の中心的役割を果たしてきたが、またその一方で事業拡大を果たすべく様々なビジネス分野に足を踏み入れてきた。様々な国にわたってはいるがそれぞれの国で首は掴まれたままだ。税や法で主管され国に奉仕している。私達が本当に摂理に適った事業を推し進めるためには、オフショアとの繋がりを見出し、入り込み、その莫大な流れの方向性を摂理に適って変えるほどであるべきだ。御母様は、全ての霊と肉を産み育む全ての母なる存在の代表であり、中心であられる実体だ。そういう認識で御母様に対さなけれ御母様に侍り願いに応えることはできない。逆に言えば未だに独生女かどうかの段階に止まっているが、あらゆる新しいものの産出は御母様が為されておられると捉えるべきだ。そういう認識でこそ私達は世界を動かせる。オフショアを産みだし育む御母様の力の存在があり、一つとしての世界国家に向かう胎動を御母様御自身が味わっておられる。その同じ高次の霊的基準、霊的波長に合わせることのできる祈祷に始まって生活意識を持とうとしているかどうか。先天と同じ生活基準、生活意識のままでいながら御母様に侍っているとは恥ずかしくていえないと思うべきだ。御母様に侍りながら生活苦や貧乏のままでいるはずがない。祈祷しているのにと言うなら、先ずその旧態依然の意識と言葉の染み付いた祈祷を封印すべきだ。後天時代の祈祷は先天時代の祈祷とは180度異なっている。

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