2018年5月4日金曜日
今日の想い 968
御母様がラスベガスに来られた折、御母様の元に呼ばれたアメリカの水産摂理の責任者は勿論中心者だが、しかし実は私達が認めていないもう一人の食口がその場いて、この二人で御母様のお話しを受け取められた。今では中心者はどう思っておられたか知る由もないが、私としてはそれが偶然か成り行きかに関わらず、現に二人で受けられた事実に天の願いの背景を垣間見た。彼は今まで本部とは距離を置かれ、本人の信念と信仰のもとビジネス摂理を進めてこられた。本流である私達は彼をはぐれ者として見ていたし、中心者も彼に同調してしまえば組織は崩れてしまう。しかし今現在を切り取ってみれば彼はそれなりに売り上げも増やしてきたし店も広げてきた。常に新しいものへの創造は欠かさなかった。一方で私達本流は時間が経つにつれて店舗は減り続け各店舗の売り上げも減り続けた。何軒かは新たに出しはしたが資金を失っただけで何の結果も残せずに終わってしまった。そして今の勢いだけを見れば、向こうに旗が上がることは私達の誰もが認めるところだ。御母様の前に呼ばれた中心者に従う私達はアベルであり、一方のその場に居合わせた彼はカインだ。そしてアベルとカインが一つになることが天の願いだ。結果を残せずに今に至ったとしても、天を想い摂理に関わってきた今までの心情の蓄積は残っているはずだ。しかしこの願いがわからなければ、流してきた汗と涙を地に落とすことになる。犠牲を犠牲として天が取ることができなくなる。御父様は真の父母の位置で常にアベルを立ててこられたことは間違いない。しかしそれはカインを否定することではない。カインを捨ててこられた訳ではない。アベルを立てられながら、しかしその意味はカインを抱きカインを連れて共に父の前に出ることを願ってこられた。アベルの失敗は父の心情を理解できず、父の心情を相続していないことが失敗に流れてしまった。私達は御父様御父様と言いながらカインの存在を否定してきた。それは個人としてのカイン的思いから始まり、あらゆるステージでカイン的存在を否定してきた。カインを連れてではなくカインを置いたまま、天国を築こうとしてきたし自分達だけで天国に入ろうとしている。その結果が私達の今の惨憺たる状況だろう。天はカインに悔い改めを求めたが、もしアベルが父の心情を理解し、カインを追い込んだ責任が自分にあることをカインに代わって悔い改めていれば、エデンの園の殺人事件は起きなかったはずだ。
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