2018年5月27日日曜日
今日の想い 970
私は日本にいる。私は私の思うところの人生の最後をかざろうと今準備している。他から見れば私の行動は不信仰に思えるのかも知れない。しかし他がどう思うかが問題ではなく、私自身が私を納得させる道を歩もうとしているかどうかが問題だ。天の道理を言うなら、今の今まで人が言う天の道理ではなく自分が信じるところの天の道理に生きてきたかという問題だ。人の道理、この世の道理を外れることが天の道理に適うことだと言わんばかりに歩んできたが、その私の今までの歩みは報告に耐えるものだろうか。これだけ献金しました、これだけ先祖祝福をしましたと言えることが天に積む宝としての実績報告足りうるだろうか。420家庭、430家庭の伝道、それは数合わせの話なのかそれともそれだけの家庭の霊的責任を持つという話なのか一体どちらなのだろうか。どんなに原理を語ろうとも親が納得して原理の神様にひれ伏すなど先ずあり得ないだろう。なら親が納得して認める形を差し出すのが近道だと私は思う。先祖祝福も祝福を与えて終わりなのではなく、いかに愛し屈服させ自らの天的使命の援護射撃となし得るかだろう。これから厳しい世情に突入していく。第三次世界大戦はすでに始まりつつある。人的被害がどうなるかは別として世界はガラガラポンの状態になりその混沌の中から新しい覇権が台頭する。おそらく今の私達はアメリカ一辺倒だろうけれども中国やロシアの力を見くびってはいけないし神様は中国やロシアの中から新しい覇権の勢力を創造されるかも知れない。日本は本来産み出す位置にいる。何を生み出すかは日本の精神に因っている。北の首領でさえ日本が抱えていた朝総連出の母から出ている。詳しくは記さないが未来への動向や動静が見えてない時点で世界摂理から外されている。霊的見地に立てる者は見通せて当然の話だからだ。先祖祝福の代数をこなすのも大事かも知れないが、先祖が立つなら自分も立つだろうし使命や願いが何かも理解して当然だろう。とにかく後天時代を生きる食口に必要なのは目覚めることだ。意識の光、意志の光を照らし出すことだ。蛹(さなぎ)を抜け出さない食口は血統圏からずれていく。
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