2019年10月26日土曜日

価値創造

人類は新しい価値を求めてきた。人類は表面的には人間願望への不足に応じる物や技術の発明に精を出してきたけれども、本質的には価値そのものの創造をしてきた。新しい価値を見出す創造性を働かせることが神の創造性に通じるのであり、それを止めてしまえば創造神の子女であることを捨てることでもあり創造神の存在証明を諦めることでもある。歴史は価値創造探求の歴史として、その恩恵の上に現代社会は成り立っている。これまでの近代歴史は科学的価値観の上でのみ探求してきたように思えるが、原因的世界という霊的知を探求してきたから科学的価値観も登場したのであり、価値が価値として認められているのであり、霊界に通じる宗教観の定着なしに科学原理は見いだせなかった。その意味では現代科学はキリスト教の申し子だといえる。よって真の愛の探求でもある霊的知の探究による原因的価値創造は、宗教の入り口である信仰を通過し霊的世界の認識を得た者達によって肉体感覚における認識に新しい世界を切り開く。地上の出来事だけに対していた者と、原因世界である霊界の認識を得て把握主管し内的霊的創造に関与している者とは全く異なる世界観を持っているし、全く異なる世界を見ている。御父母様が切り開いた世界は霊的高みである神霊界の創造的革命であって、地上の堕落社会に応用された妥協の産物としての人格や道徳心を善悪基準にして判断すること自体間違っている。語られたみ言葉は数次元に亘る広漠たる霊界の羅針盤ともいえ、み言葉をして初めて意識的に霊界に参入することを可能にした。霊界参入の恐ろしさや難しさを少しでも知っている宗教者でこそ御父母様の偉大さを理解する。霊連性教会と言われるように、地上界に居ながらにして霊界参入による霊的事実を把握認識できなければ、これからの世界を把握し摂理的に牽引できる価値創造を果たしていくことはできない。

2019年10月17日木曜日

御父様は何を願われましたか?

「御父様は何を願われましたか?」。レストラン会議でマネージャー達はラスベガスに集まっていて、それを耳にされた御母様が皆に来るように声をかけてくださった。お話しされた後アメリカの大陸会長を含めて4人、代表者を集められて御母様はミーティングをもたれた。その時に尋ねられたのが「御父様は何を皆さんに願われましたか?」という質問だった。おそらく責任者は、御父様から願われた内容をしっかりとやるようにという含みを持たせた質問だったと捉えたはずだ。しかし私が思うに、御母様はただ御父様が支持されたことを確認したかっただけであり、本当は御母様の願いを汲んた返事を期待していたのではないか、ということだ。しかし責任者は御父様の指示を羅列しその目標通り頑張りますと口にしたので、それ以上の言葉はなかった。その当時、いくらにも手を広げられた御父様の事業の多くを御母様は処分されていた。そして、例えば国家復帰などの主要摂理に集中された。御父様が私達に願われた海洋摂理も実に膨大で、オーシャンチャーチから漁労から流通、小売り、レストラン、ボート制作、更に養殖など、海洋資源に関わる全てに手を広げ願われていた。それをそのまま引き継ぐのではなく、御母様の中心摂理に合わせて、例えば資金が出せる事業に集中させる等のように御母様の願い中心の発言を願われたに違いない。その辺りの意識のズレが後々まで尾を引くのであり、責任者もマネージャー達も御母様、御母様とはいうけれど、御父様の指示と願いをそのまま御母様の願いとしてしまっている。信じているのではなく御父母様一体を言い訳にしてそうしている。はっきり言ってそれは御母様の願いに応えるのとは違う。おそらく御母様は御父様の亡霊を私達に見たはずだ。亡霊は生きた生身の御父様ではない。御父様というイメージを持った我々の凝り固まった観念だ。一世達の多くに接して、御母様は御父様のイメージを装った亡霊に支配されている一世達はもはや使えないと思われたはずだ。よって二世中心の摂理へと舵を切られるわけだが、調子よく合わせはしても踏ん張りの足りない二世達にも限界を感じておられる。献身して身一つで決意して集まった最強集団の統一の群れは、今や二世教育をも失敗した只の爺婆の群れ、社会適用の苦手な甘えん坊の群れになってはいないか。北朝鮮のような団体演技だけ練習して、御母様は本当に喜ばれているのだろうか。人間はそう簡単には変わらない。先天時代の信仰の在り様から思考、意識、歩み、そして人格や実績まで、しっかりと総括して後天時代を出発しなければ、観念という亡霊にさいなまされ、いつまでも地に足を付けられない夢遊病者と同じだ。

2019年10月15日火曜日

今日の想い 1045

昼の私は意識圏の私、夜の私は無意識圏の私ということができるが、覚めている意識圏内に於いても演じる昼の部分の私と隠れている夜の部分の私が存在している。夫婦ともなれば隠している夜の部分も曝け出さざるを得ないのであり、その意味で相対者は私を最も知る存在で霊界生活にも深く関わり合うことになる。人間は昼の顔が全てではない。昼の顔はごく私の一部分でしかなく、隠れている闇の部分の私を知って主管して昼の私にどう関わりを持たせるかが大切だ。隠れている欲望を悪と捉えてしまう食口は多いのだが動的にしろ静的にしろあらゆる欲望の坩堝が夜の部分の私でもある。欲と意志とは裏と表であり欲望の強い人間は意志を働かせ結果もついてくる。どれほど氏族復帰だ伝道だと自分を向かわせようとしても夜の部分の私、すなわち自分の欲の部分と相談して意志を働かせるよう納得させなければ向かうことはない。食口の中でも伝道に入り込める人はもともと飛んでる人、この世的欲にあまり関心のない人が多いが、そういう食口だけが光を充てられ神様から愛され用いられていると思われがちだが、ごく普通人が如何に夜の部分の私を主管して願いに応えていく自分になるか、それでこそ祝福の地上化を為して神様の願いに応えることができる。御母様があの御父様に、要するに夜の神様の地上摂理を担われた御父様に妻として人生の大半を投入された辛苦は本人しかわからない。普通人なら気が狂って当然だろう。それだけでも何をされようが何を語られようが尊敬に値するのだが、御父様に情を向けていた多くの一世にとっては御母様の産道を通過するには時間が必要だろう。その点二世や三世は一瞬で御母様に情が向かう。私を含めて一世の多くは独善的だった。また御父様に付き従うにはそうならざるを得なかった。それが当然だった。しかし実体化すべき地上摂理は夜の神様から昼の神様にバトンタッチする必要が生じた。御父様の聖和、そして御母様の妻の位置から神様の一人娘への位相昇格は、夜の神様のブループリントから昼の神様の天地創造へと移されたのと同じ変革であって、この背後の神霊の動きこそが御母様が独生女であることを認証し御母様に印を押された。御子女様に限らず分派は御父様の数ある意志のうちの幾つかを背負ってはいるが、天が御母様を認可された以上それらは今亡霊に過ぎない。セントレアの大会会場の通り道で叫んでいた者達によって食口達の御母様信仰はより強固になるように、何らかの形で御母様を盛り上げることになるはずだ。先天信仰から後天信仰へ。闇雲にみ言葉を伝え祝福を与えようとするのは夜の部分の私、先天の私だが、氏族復帰への具体的な道筋を昼の部分の私、後天の私は必ず見いだせるはずだ。

2019年10月10日木曜日

今日の想い 1044

教会は建前上は御父母様の一体圏を基盤に御母様を捉えている。しかし御母様は独生女、一人娘と宣言されるように明らかに御父様の影は否定しておられる。今回のスピーチの中にも一人息子イエス様という言葉はたくさんあっても御父様という言葉は一言も(?)なかった。御父様が聖和されてから今まで、御父様のみ言葉から指示事項から宣言宣布や大会も、残された全てを御母様によって上書きされようとしている。今回の大会も4万人という数字が最も重要で、おそらく4万人大会で御父様の功績を上書きされたことが御母様にとって、そして御母様を中心とする摂理にとって重要だったはずだ。日本の食口は頭が誰かが重要ではなく、従う頭があるかないかが重要で、その意味では御母様がその権威を立てられれば立てられるほど日本食口としては従いやすい。もし存在されない御父様の権威をどれほど御母様が強調されるとしても、おそらくはそれだけでは日本食口は摂理からずれて流されてしまっただろうし、御父様と共に歩んできた一世達はどんどん霊界に送られて御父様を知らない世代が日増しに増えているという現状もある。そう思うと御母様の言動や行動は的を得ていたし、それがもし摂理を進める為の戦略だとしたら歴史的策士としての御母様は見上げるばかりだ。分派がどれほど声を上げようが、一握りの一世達が先天信仰との矛盾を口にしようが、次世代に焦点を当てている御母様の方が一枚も二枚も上手だということだ。御母様は明らかに昼の神様の位相に立たれ、そうなると夜の神様も嫌でも援護せざるを得ない。これからは益々討って出られるはずで、光輝く2020年が今回の大会で垣間見えた。議員のよいしょの言葉やギングリッチが壇上に上がったのも、また帰った後に報告が届いたが参席した不動明王のある教主の証は、食口達の御母様信仰をバックアップするに十分役立つはずだ。さて来年はいよいよ頂上決戦の2020年だ。ヤンキースタジアム大会が予定され、もし成功すれば世界的に上書きされて御母様による後天開闢時代が開かれる。私としては海洋摂理の一端を担いながら、しかし御母様がどれほど海洋摂理に対して意識を持っておられるのか疑問だったけれども、あらゆる事に広く手を付けられた御父様とは異なり、真の父母として最も為すべきことに集中的に意志を働かせておられることがわかった。そうなると私や海洋摂理を担って歩んできた者達は、御題目を取り敢えず横に置いておいて、御母様を支える為に今もっとも為すべきことは何かを問うて、そこに集中的に意志を働かせる必要がある。

今日の想い 1043

朝早くに家を出て先ずローカル線で西に向かった。一旦西に向かいそれから東に走るのぞみに飛び乗った。名古屋に着くと混雑する名鉄に乗り換え、会場に着いたのは10時半頃だったか、、。会場の入り口近くでは異様なプラカードや幟が立っており、怒声に近い叫び声が耳に入ってきたが、これが事ある毎に邪魔をしてくる分派だということはすぐにわかった。殆どの兄弟達は彼等の狙いとは逆の感情を刺激され、御母様に向かう信仰をより強固にするはずだ。それを解っているのかどうなのか、きれいな女性の声ならまだしも男性の地獄からの叫び声は悪霊雑霊を思わせて全く逆効果だろうに、、。彼らが本気で訴えたいのなら先ず戦術を変えるべきだろう。御父様を想起させたいのだろうが乞食のようなあの身なりも考えものだ。この食口達にあってあの反対派ありで私は会場を入る前に溜息をつかざるを得なかった。会場はAからFまでの部屋割りがあり私のチケットはFだった。入り口から最も遠いFだ。展示会場だから大会に使用するにはどだい無理があって、その場に居ながらも壇上の様子もステージも全く見えない。端っこのFではなおさらだ。スクリーンだけを見てステージ付近の空気感を想像するしかない。遠方から地区の旗を掲げて次々と群れが入ってきたが実体の見えない会場だと前もって理解してわざわざ足を運んだのだろうか。4万人という数字を供え物にすることが目的であって、一人一人が背負っている霊界もそれぞれの人格もその場では無視されている格好だ。案の定大会中盤に入ると歯が抜けるようにして空席が目立っていった。中には主賓の登場だけを待って話も聞かずに抜けていく食口も結構いたりして、大会参加の個人的意義を一体どう捉えたらいいものか、、。そういう私も御母様のスピーチが終わるや否や会場を出たのだが、会場を出るとロビーも満杯だし帰りの電車も満杯で二つほど乗り過ごすはめになってしまった。枯れ木も山の賑わいの枯れ木の一本として、日本の霊界の洗礼をげっそりするほど浴びた一日だった。もちろん私が全体として受けた意義は別にあって、そしてここに述べたのは個人として感じたどうでもいいことであり、それでこの大会の良し悪しを決めるほど愚かではないつもりだが、本論に入る前に先ずは軽いジョブから、、ということで。