2019年10月10日木曜日

今日の想い 1043

朝早くに家を出て先ずローカル線で西に向かった。一旦西に向かいそれから東に走るのぞみに飛び乗った。名古屋に着くと混雑する名鉄に乗り換え、会場に着いたのは10時半頃だったか、、。会場の入り口近くでは異様なプラカードや幟が立っており、怒声に近い叫び声が耳に入ってきたが、これが事ある毎に邪魔をしてくる分派だということはすぐにわかった。殆どの兄弟達は彼等の狙いとは逆の感情を刺激され、御母様に向かう信仰をより強固にするはずだ。それを解っているのかどうなのか、きれいな女性の声ならまだしも男性の地獄からの叫び声は悪霊雑霊を思わせて全く逆効果だろうに、、。彼らが本気で訴えたいのなら先ず戦術を変えるべきだろう。御父様を想起させたいのだろうが乞食のようなあの身なりも考えものだ。この食口達にあってあの反対派ありで私は会場を入る前に溜息をつかざるを得なかった。会場はAからFまでの部屋割りがあり私のチケットはFだった。入り口から最も遠いFだ。展示会場だから大会に使用するにはどだい無理があって、その場に居ながらも壇上の様子もステージも全く見えない。端っこのFではなおさらだ。スクリーンだけを見てステージ付近の空気感を想像するしかない。遠方から地区の旗を掲げて次々と群れが入ってきたが実体の見えない会場だと前もって理解してわざわざ足を運んだのだろうか。4万人という数字を供え物にすることが目的であって、一人一人が背負っている霊界もそれぞれの人格もその場では無視されている格好だ。案の定大会中盤に入ると歯が抜けるようにして空席が目立っていった。中には主賓の登場だけを待って話も聞かずに抜けていく食口も結構いたりして、大会参加の個人的意義を一体どう捉えたらいいものか、、。そういう私も御母様のスピーチが終わるや否や会場を出たのだが、会場を出るとロビーも満杯だし帰りの電車も満杯で二つほど乗り過ごすはめになってしまった。枯れ木も山の賑わいの枯れ木の一本として、日本の霊界の洗礼をげっそりするほど浴びた一日だった。もちろん私が全体として受けた意義は別にあって、そしてここに述べたのは個人として感じたどうでもいいことであり、それでこの大会の良し悪しを決めるほど愚かではないつもりだが、本論に入る前に先ずは軽いジョブから、、ということで。

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