2019年10月15日火曜日
今日の想い 1045
昼の私は意識圏の私、夜の私は無意識圏の私ということができるが、覚めている意識圏内に於いても演じる昼の部分の私と隠れている夜の部分の私が存在している。夫婦ともなれば隠している夜の部分も曝け出さざるを得ないのであり、その意味で相対者は私を最も知る存在で霊界生活にも深く関わり合うことになる。人間は昼の顔が全てではない。昼の顔はごく私の一部分でしかなく、隠れている闇の部分の私を知って主管して昼の私にどう関わりを持たせるかが大切だ。隠れている欲望を悪と捉えてしまう食口は多いのだが動的にしろ静的にしろあらゆる欲望の坩堝が夜の部分の私でもある。欲と意志とは裏と表であり欲望の強い人間は意志を働かせ結果もついてくる。どれほど氏族復帰だ伝道だと自分を向かわせようとしても夜の部分の私、すなわち自分の欲の部分と相談して意志を働かせるよう納得させなければ向かうことはない。食口の中でも伝道に入り込める人はもともと飛んでる人、この世的欲にあまり関心のない人が多いが、そういう食口だけが光を充てられ神様から愛され用いられていると思われがちだが、ごく普通人が如何に夜の部分の私を主管して願いに応えていく自分になるか、それでこそ祝福の地上化を為して神様の願いに応えることができる。御母様があの御父様に、要するに夜の神様の地上摂理を担われた御父様に妻として人生の大半を投入された辛苦は本人しかわからない。普通人なら気が狂って当然だろう。それだけでも何をされようが何を語られようが尊敬に値するのだが、御父様に情を向けていた多くの一世にとっては御母様の産道を通過するには時間が必要だろう。その点二世や三世は一瞬で御母様に情が向かう。私を含めて一世の多くは独善的だった。また御父様に付き従うにはそうならざるを得なかった。それが当然だった。しかし実体化すべき地上摂理は夜の神様から昼の神様にバトンタッチする必要が生じた。御父様の聖和、そして御母様の妻の位置から神様の一人娘への位相昇格は、夜の神様のブループリントから昼の神様の天地創造へと移されたのと同じ変革であって、この背後の神霊の動きこそが御母様が独生女であることを認証し御母様に印を押された。御子女様に限らず分派は御父様の数ある意志のうちの幾つかを背負ってはいるが、天が御母様を認可された以上それらは今亡霊に過ぎない。セントレアの大会会場の通り道で叫んでいた者達によって食口達の御母様信仰はより強固になるように、何らかの形で御母様を盛り上げることになるはずだ。先天信仰から後天信仰へ。闇雲にみ言葉を伝え祝福を与えようとするのは夜の部分の私、先天の私だが、氏族復帰への具体的な道筋を昼の部分の私、後天の私は必ず見いだせるはずだ。
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