2020年1月2日木曜日

今日の想い 1050

「時代に翻弄されて、、」というような言い方が歴史人物を記述する際にはよく使われるが、それぞれの時代にはそれぞれの時代霊が主管していて、時代の中心人物は特にその影響を受けている。人間の志向する方向性はいつの時代も同じだと認識するのは間違いで、それぞれの時代霊に主管されてそのように動かされている。こぞって原理運動に馳せ参じた私達も実は或る時代霊の主管によって動かされてきた。自由と平等という名のもとにカインとしての共産主義が現れアベルとしての民主主義が現れたが、頭翼思想に立つ私達はアベルでもカインでもなく、先天時代を締めくくり第四次アダム心情圏に立つ者として後天時代の幕開けを喇叭する、言わば後天開闢時代に於ける洗礼ヨハネの役目を果たす群れとして天(時代霊)から招集された者達だ。御父様に身も心も、更に意思決定までも預けた私達は、カインの群れのように糧を得る術もこの世に頭角を現す能力もなく、アベルの群れのように生まれながらに純粋な心を持っているわけでもなかった。敢えて持っているものといえば自分は何も持っていないという自覚だけだろうか。しかし御母様は違う。全てを持っておられ天の公認を受けて聖霊実体として立っておられる。しかし全てを持っておられながら全てを否定されて御父様に侍ってこられた。その魂の在り様はことごとく否定され細胞のひとつひとつ、想いのひとつひとつ全てを犠牲にされた、聖霊実体とは犠牲実体かと問い直すほどだ。だからその反動で権威を立てられる事情も痛いほどにわかる私達であるべきだが、しかしそうであればあるほどイエスマンで通すのは心情圏に立った私達の姿勢ではないだろう。しかしみ言葉の論理をもってして頭ごなしに反対する食口は多くても心情に立って御母様に進言する先生はいなかった。その役目を牧師にお願いするようでは先生方といえども幼い子供から成長してはいないことを露呈している。本当は私達以上に、その何倍も歴史に、そして天の摂理に翻弄されたのが御母様だ。御母様の権威を見るのではなく犠牲を見るべきだ。

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